中学生が投げかけた疑問(2020年1月12日)
昨年、ある一人の中学生が“他の先生に言うと怒られそうだけど先生には聞いてみたいです”と前置きして、こんなことを小声で言いました。
――俺らは新しい教育(プログラミングやデザイン思考といった類のもの)を受け始めた世代で大丈夫だと思うんですけど、先生たちって受けてない世代だし(それらを教えるのも、時代についていくのも)大丈夫なんですか?――
君は正しい。
私はそう答えました。
こんなことを言えば気を悪くされる方もあるかもしれませんが、私は知識を教えるだけだったらAIの方が絶対優秀だと思っています(今はそうでなかったとしても、近い将来そうなると私は確信しています。また、私の親族にプログラミングで仕事をしている者がありますが、専門でない教員が教えられるものではないだろうと話していました)。
その生徒には昨年末、学校で任意に開催してよいという特別講座で、希望者が彼しかいなかったので、私の専門分野の一つである日本の中世の価値観の転換について「婆娑羅大名」を題材にしてマンツーマンで講義しました。
今の学校教育はこれから大きく変わっていく時代、君のような従来の価値に疑問を持ち、自信の個性や能力を頼りにできる人間が新しい時代を作るんだと私は思っている、歴史がそう語っているからね……というスタンスで講義をしました。
年が明けてもその熱は止まなかったらしく、「NGB」(Next Generation BASARA)だと言って、自分は時代の風雲児になるとはしゃいでいました。――頼もしいですね。
先日も芸術の教員と話をしました。――教科書の基礎的な(古典的でアナログな)内容を教えるのは本当に意味のないことなのか?、と。
私たち先人が築いてきた智慧と技術、学問の核の核となる部分こそ、生徒たちが熱狂することを私は長い教員生活で見てきています。かのスカイツリーには日本の伝統的な建築技法が生かされているともいうではないですか。
1300年前の技術が支える東京スカイツリー - ハイテクジャパン - キッズ・ウェブ・ジャパン - Web Japan (web-japan.org)
それらを伝える手法は最新であり、工夫を凝らす必要はあります。ICTもおおいに使うべきです。しかしながら、最新の技法で、最新の知識と技法を教える意味はあるのでしょうか。
将来のAIの進化がどこまで到達するのかは未知数ですが、私は知識ではなく"人間の可能性"を教えるという点でまだAIに負けるとは思っていません。
ベテランの先生方には生徒ありきで研鑚されてきた授業実践や生徒指導の智慧と技法を若い先生方に、若い先生方はデジタルネイティブのツールの活用法や心理(?)をベテランの先生方に……といったやり取りがなされる現場を私は思い描いています。