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安彦忠彦『「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり』⑤(2019年3月10日)

 2月に入ってから今まで、忙しいのと少し体調を崩していました。前回からの続きを記していきたいと思います。

 安彦先生は、松下佳代氏と国立教育政策研究所の「21世紀型能力」モデルの提言とを参考に、「人格」と「学力」にコンピテンシーを分けるご自身の立場から、次のようにコンピテンシーを定義します。

「人格」=人格特性・態度・資質(「資質」を筆者は「能力」の中に含めない)
「学力」=学校で育てられるべき能力

①道具的能力:基礎的な読み・書き・計算の技能、基本的な一般的知識、学習能力(学び方・学習意欲・ICT操作能力)
=基本的認知能力(基礎・基本) ※基礎は人格の一部にもなる
②社会的能力:対人的スキル、新状況への適応能力
=対人関係能力(基礎・基本)
③システム的(実践的思考)能力:実践的学習能力、分析・総合能力、実践的適用能力、独創的創造能力(独創性・創造性)
=高次認知能力(個性)+実践的能力 ※「実践的能力」の別立ても可。

 「①と②は、次の③の能力の「道具ないし手段」」として、「どの子どもにも「平等」に保証すべき能力であり、かつ市民的「人格」の一部になるもの」であり、「教える側に最低限のものを身に付けさせる責任と義務」があるとしています。
 「基礎・基本」の学力が「人格の一部でもある」ことを実感した例として、安彦先生は大阪府守口市の夜間中学校へ参与観察に入ったときの老婦人の話を例にあげています。その方は、子どもの頃に生活上の理由で学校へ行けず義務教育が受けられませんでした。字が読めないがために駅に自動切符販売機が置かれるようになって駅員がいなくなったら、誰かが来るまで待ったうえに、恥ずかしい思いをして行き先と料金を聞かねばならなかったという話でした。基礎・基本の学力がなければ、「一人の市民として最低限の生活に支障が出るということを意味する」としています。
 また、別の女性ですが、字が書けるようになって一番うれしかったことは「俳句を一句、初めてつくったこと」、なぜなら「これで私も一人前とおもえたのです。」と語ったという例をあげています。
 そして、次のように述べています。

 この言葉は、「生活上」の必要から読み書きの能力を身につけることもさることながら、それ以上の「文化的な」活動に参加できた、ということに何よりも大きな喜びを感じた、ということを伝えています。確かに「文化的」に芸術表現ができることは、人間の「人格=人間らしさ」を示す、何ものにも変え難い価値のあることと言えます。

 期せずして、字を習うこと、それによって俳句をつくることが例にあがっているのですが、国語における基礎・基本の核を再確認させられる意見であるかと思います。 (つづく)


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