【『逃げ上手の若君』全力応援!】(56)足利尊氏についての疑問、新田義貞や高師直や楠木正成のキャラ設定をファン目線で考察する
南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2022年4月3日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕
『逃げ上手の若君』第56話は、鎌倉で父や兄とはぐれて泣きじゃくる時行の回想で始まりました。
龍ノ口刑場ーー第39話のセンターカラー時の口絵でも登場した場所です。その際は、江ノ電の撮り鉄さんたちと外国人の方とのトラブル(?)動画をネタにしたものだったことを書きましたが、龍ノ口は未来の時行におおいに関係のある場所です。
たつのくち 【龍口】
神奈川県藤沢市片瀬三丁目付近の旧称。鎌倉市の西方、片瀬川(境川)の東岸、袖ケ浦の北部に位置する。鎌倉幕府の刑場として有名。日蓮が文永八年(一二七一)禅宗、浄土宗などの禁止を鎌倉幕府に要望して罪に問われ、斬罪に処せられようとした地。〔日本国語大辞典〕
日蓮はここで斬られそうになったけれども、奇跡(江の島から光の玉が飛来)が起きて助かり、現在はその〝聖地〟として日蓮宗の竜口寺があります。江ノ電からもばっちり見えます。
尊氏(高氏)の言う「お父上の別荘」がどこなのかは不勉強でわからないのですが、現代の地図で見ると、鎌倉市街から竜口寺までは5、6キロメートルはありそうです(上記の地図の右上に「鶴岡八幡宮」があり、左下は切れてしまっていますが江の島があります。「江ノ島」駅の記載は見えると思いますが、そのすぐ右上に「竜口寺」があります)。
時行の回想の尊氏、めちゃくちゃかっこよくて優しいですね(桜の木の上で待ち伏せしていた「インチキ祈祷師」との出会いとは大違い……)。妹と議論しました。ーー尊氏はすでにこの頃から「怪物」だったのか、と。
「なんとなく」で時行の居場所がわかるという人並外れた「勘」をどうとらえるかですが、尊氏は子供の頃から「勘」が良く(第25話で弟の直義が証言)、尊氏本人にも自分の勘は外れないと絶対の自信があるようです。もし尊氏の「勘」が、魅摩のように超越的な何かが尊氏の身に潜んでこその「神力」であるととれば、どうでしょうか。子供の頃は、宝探しで弟をがっかりさせるくらいで済んだのかもしれませんが、歳をとって「欲」が大きくなるに従って、能力が高まると同時に、その身の内の「怪物」も肥大化しているのかもしれません……。
いずれにせよ、時行と尊氏が初めて出会った場所を「龍ノ口刑場」にする松井先生の狙いがどこにあるのかが、気になるばかりです。
(手をつないで帰路に就く時行が、無邪気に「地獄の果てまで?」と言って尊氏が困惑する場面が、第一話の頼重の「地獄の底までお仕え致しましょう」とかぶっていて、時行の運命を変えた二人の大人を対象的に描いているのにも気づかされます。)
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さて、今回は足利尊氏について少し考察を進めることができましたが、新田義貞、高師直、楠木正成についても、史実を踏まえた松井先生の細かい部分でのキャラの性格づけが秀逸だと思いました。
まずは、新田義貞。
部下たちが「矢の雨を悉く斬り落す武勇を誇り 鎌倉を落とした果断な指揮は歴史に残る」のコマはもうカッコよすぎです! 古典『太平記』では、剣を海に投げ入れ、龍神の加護を得て潮の引いた稲村ケ崎から鎌倉に攻め入った場面が有名です。実際、このエピソードに関しては、本当にレアな条件下での自然現象に遭遇しただとか、極楽寺の裏手あたりの山から攻め入ったとか、困難であっても海を行けないわけではなかったなど、諸説あるようです。
このコマでは、馬で進む義貞の後ろを部下たちが腰まで水に浸かって付き従っていて、思わず絵に見入ってしまいました。
しかし、「覇気に満ち顔も精悍な武士の鑑」の内実は「?」だったという……とほほ、なオチ。第48話で、越後の新田の一族から「天狗」の話を聞かされて、「…なんと奇妙な事があるものだ」言う義貞の頭の横には、確かにに「?」が浮かんでいます(そして、その背後でニヤケた笑いの岩松経家は、今では直義のもとで、ちゃっかり関東庇番のお役にありついています)。
直接鎌倉を攻め、幕府を滅ぼして北条氏を滅亡に追いやった新田義貞ですが、後に尊氏と対立して足利一門からは離脱、どうもその原因ともなった後醍醐天皇にも裏切られ、北陸で立てこもった(その最期もイマイチ……)という運命を思うと、確かに鎌倉を落とした功績というのは、義貞の実力以上の〝偶然〟がもたらした結果ではないかと思うことがあります。実際、当時の記録によれば、〝鎌倉を落とした新田って誰?〟という反応が大方だったようです(それでも私は、義貞とその息子たち、一族は、どうも憎めないところがあり、好きです)。
そして、高師直。
最初は正成自らが尊氏らの出迎えに出てきたことを疑問に思いながらも、「大きな宴席を開きなれていないのだろう しょせん元は素性も怪しい成り上がりだ」と言って、警戒心を解いてしまいます。
第53話でも、「天狗」に探らせたけども、信濃で大掛かりな戦の準備はないと断言してしまっています。
人間離れした魅力と勘の持ち主である尊氏と正反対の、情報や経験重視の理論派であることが伺えます。ーー人相悪いですが、古典『太平記』以来の物語や創作作品における高師直像を打ち破った、男性の師直ファンの方などは〝これこれ、これが本物の師直!〟と納得しそうなキャラ設定だと感じています。
ちなみに、正成が「もとは素性も怪しい成り上がり」というのは、楠木氏の素性がよくわかっていないというところを受けてのものであると考えます。
楠木氏は河内国赤坂(大阪府南河内郡千早赤坂村)周辺を本拠とする豪族で、橘氏を本姓とするとされるが詳細は不明。鎌倉時代御家人であったかどうかも明らかではなく、散所の長者であったとも、流通路を支配する武士であったともいわれる。〔日本中世史事典〕
※散所…古代末~中止柄、その住民が年貢を免除される代りに貴族・寺社に属して掃除や土木・交通などの雑役に服した地域。また、その住民。散所の民。浮浪民の流入するものが多く賤民視された。
しかしながら、自分を「弱者」として「強者に勝つ秘訣」を時行に教えた正成の強さは、師直が軽蔑していると思われる「素性も怪しい」と言わせる部分にあるというところで説得力が増します。
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今回はファン目線で細かいところを拾っていきましたが、暗殺計画についても尊氏はいつ、どこまで感づいていたのか……まさか〝中先代の乱〟が起きず作品が終わってしまうということはないと思いつつ、どうにも先が読めないので気が気でなりません。
〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕
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