見出し画像

【『逃げ上手の若君』全力応援!】(115)伊豆潜伏予感的中!三つの理由、古典『太平記』に見る時行の「密書」、玄蕃と夏の違いに感じること

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2023年7月2日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「「中先代の乱」から二年 時行たちは伊豆に潜伏していた

  計4回の「インターミッション」を経て、時行たちの動きが描かれた『逃げ上手の若君』第115話ですが、やはり伊豆だったか!という予感が当たりました。前回のこのシリーズでは、時行たちの潜伏先が気になると記しましたが、伊豆を想定していたのにはいくつか理由があります。
 もちろん、一つ目は作品中にもあるとおり、「伊豆は北条発祥の地」であることです。覚海尼の登場はタイムリー過ぎました。なぜなら、先日所用で伊豆の三島に行ったのですが、次のようなポスターを見つけたからです。ーー鎌倉北条氏研究の大御所である細川重男先生と、本シリーズで欠かすことのできない参考文献である『中先代の乱』の著者・鈴木由美先生の講演会です!

https://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/bunka_bunkazai/bunkazaikoenkai.html

 『逃げ上手の若君』の中では、「覚海尼かくかいに」となっていますが、ポスターの「円成尼えんじょうに」は同じ人物のようです。時行の父・高時だけでなく、叔父・泰家にとっても実母だということです。
 ちなみに、イラストの尼ですが、最初は政子だと思いましたがおそらく円成院で、右の青年が義時、韮山の反射炉を眺めているのが時政と泰時でしょうか。イラストを手掛けた「鞘ェもん」さんのことはこれまで存じ上げませんでしたが、Twitter等の作品はどれも胸に刺さりました。興味のある方はぜひご覧になってみてください。
 円成寺は、まさに北条氏発祥の地、伊豆・韮山の守山もりやまの北条の邸跡に建てられた寺です。昨年、『鎌倉殿の13人』の大河ドラマ館を訪れた際に、守山にも足を運びました。詳しくは以下のサイトでご確認ください。

北条氏邸跡

                   〔伊豆の国市観光協会 公式HP〕

史跡北条氏邸跡(円成寺跡)

                       〔伊豆の国市 公式HP〕

 なお、時行の潜伏先が伊豆ではないかと思った二つ目の理由は、伊豆が諏訪氏の発祥の地でもあるという説が存在するからです。
 実際、諏訪一族の末裔である方のご先祖様たちが、諏訪氏が滅びた後に武田氏の配下に入り、やがて武田氏も凋落していく中で、落ち武者として伊豆に逃げ延びたのだという言い伝えが残っているというのを聞いたことがあります。どうやら中世に諏訪氏の所領が伊豆のその地にあったようでもあり、それについては現在調査中なのですが、奥深い山々と険しい海岸線に隔てられ、長い時代ここが陸の孤島であり、逃げ延びた一族が当初はすでに存在した集落よりも奥の山中で、ひっそり暮らしたのではないかとしのばれるのです。
 第114話の最後で時行たちが登場した際、その隠れ家が切り立った山の斜面のようなところにありました(第115話でも、時行が「見知らぬ地の狭い隠れ家」と言ってうっとりしているコマで描かれています)。第115話では、「せっかく山奥から出てきたんだ」(時行)、「やっぱたまには街へ降りねーとな」(玄蕃、自分専用の隠れ家にいる?)とあるので、逃若党は韮山ではない違う場所で生活しているのがわかります。
 第110話で、諏訪頼重は「逃走経路はお伝えした通り」と述べていますから、諏訪氏ゆかりの地で、なおかつ、「密かに北条を慕う者」の多い場所へとすでに手配をしていたのでしょう。
 なお、潜伏地が伊豆とにらんだ三つ目の理由は、純粋にポテンシャルが高いということです。幕末の話になりますが、日本と条約を結ぶために下田に来航していたロシア船が大地震(大津波)で破損した際に、江戸幕府は伊豆の戸田へだという場所にロシア人たちを移し、彼らの船を修復したということがありました。
 もちろん、船を修復する技術を持つ者たちがいたという条件も大事だったのですが、戸田を訪ねた際に驚いたのは、山を下り続けてかなり近づいた所まで行かなければ、集落があるのがまるでわからないことでした。そのくらい、複雑な地形(当時は車などなく、徒歩での移動がかなりの困難であったことは、そこを往復した幕臣の日記に残されています)の中に埋もれる集落や潜伏にふさわしいであろう場所が、伊豆のあちこちにあるのです。
 また、ロシア人を受け入れた伊豆の人たちはオープンで、おそらくはるか昔から、時行たちのような事情ある潜伏者たちを「援けてくれる暖かい人々」が住んでいた(潜伏者など慣れっこだった?)のかもしれませんね。

 とはいえ、実際のところ、時行がどこに潜伏していたかはわかっていないようです。古典『太平記』には、「ここの禅院、かしこの律院に、一夜を明かして隠れありきけるが」や「深山幽谷しんざんゆうこくの村里に一夜に二夜を明かして、隠れ行きけるが」といった形で語られています。
 ※禅院(ぜんいん)…禅宗の寺院。
 ※律院(りついん)…律宗の寺院。
 ※深山幽谷…人里離れ、誰も足を踏み入れないような奥深く静かな山や谷。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 さて、第115話については、私の視点ではあと二つ、重要かつ興味深いポイントがありました。そのひとつは、時行が後醍醐天皇に送った「密書」です。

「時行、一塵も君を恨み申す所存候はず」
(『太平記』本文をもとにした松井先生の解釈がパーフェクト、かつ、わかりやすい!)

 「「太平記」にある時行の降伏文書はしたたかだった。」とする、松井先生ナレーション(?)をもとに、『太平記』本文を確認してみたいと思います(全文の掲載も考えましたが、それについてはまた別の機会に何らかの形でと考えています)。

 「あえて北条の非を認めて帝を持ち上げ」に対応する部分ですが、時行は父・高時について「臣たる道をわきまへずして、つひに滅亡を勅勘ちょっかんもと候ひき」であるとし、帝の倒幕によって父が亡くなったことは事実だけれども、「天誅てんちゅうの理に当たる故を存ずるによつて、時行、一塵いちじんも君を恨み申す所存候はず」としています。
 ※勅勘…帝によるおとがめ。
 ※天誅…天が下す罰が道理に叶っていること。
 ※一塵も~候はず…少しも~ない。まったく~ない。

 次に、「故事やことわざを交えながら理を説き」の部分ですが、書状の結びの部分に次のように見られます。
 「それ不義の父を誅せられて、忠功の子を召し仕はるるためし、異国には趙盾ちょうとん、わがちょうには義朝よしとも、そのほか泛々はんぱんたるたぐひ、勝計しょうけいすべからず。用捨偏ようしゃへんなくして、ちょう)時あるは、明王めいおうの士を選ばるる徳なり。
 ※趙盾…中国春秋時代、晋の霊公に仕えて国政を司ったが、主君を諫めて殺されかけて亡命。景公の代に、趙盾の子趙朔は国政についた。
 ※義朝…源為義の子。保元の乱で後白河帝方につき、乱後、崇徳上皇側についた父為朝を斬った。
 ※泛々たる類ひ、勝計すべからず…些末な前例は、かぞえきれないほどだ。
 ※用捨偏なくして、弛(張)時あるは…扱いが公平で、寛大と厳格が時機を得ているのは。
 ※明王…英明な王。 
 この後に「に既往の罪を以て、当然の理を棄てられ候はんや」、つまり、〝どうして過去の(父の)罪によって、帝ならば当然おわかりになる明白な理(帝にお味方すると言っている子の私を許すという選択)をお捨てになるのですか〟と続け、帝にその答えを迫る形(〝英明な帝ならばそんなことをするはずありませんよね!?〟)で、文章を終えているのです。

 そして、「しっかり北条の朝敵解除を要求している」部分については、まずは理路整然と「大逆無道たいぎゃくぶとう」の尊氏批判をした上で、「当家の氏族ことごとく敵を他に取らず、推して尊氏・直義等がために恨みを散ぜん事を存ず」と断言します。
 ※大逆無道…悪逆非道。
 ※敵を他に取らず…敵を他に求めず。
 その上で、〝朝敵を解除してください〟の一言をくり返したりすることなく、帝がそうせざるをえないような説得を行っています。
 「天鑑てんかん明らかに下情かじょうを照らされば、げて勅面をこうぶつて、朝敵誅伐の計略をめぐらす由、綸旨りんしを成し下されて、官軍の義戦をたすけ、皇統の大化を仰ぎ申すべきにて候ふ。
 つまり、目的は自分と帝で同じなのだから、「帝の命を奉じて蔵人が発給する文書」である「綸旨」をいただくことができれば、「官軍」に加わって帝の政権復帰をお助けしますと交換条件を提示しているのです。
 ※天鑑明らかに下情を照らされば、枉げて勅面を蒙つて…帝のご照覧によって下々の真情が明らかにされるなら、何とぞ帝のお許しを得て。
 ※皇統の大化…正当な帝の大いなる徳化。

 『太平記』には、時行の手紙で用いられた「たと」と説かれた「」に後醍醐天皇が深く納得して、「恩免の綸旨を下されける」とあります。
 これらは、『逃げ上手の若君』のこれまでの展開に照らせば、頼重のスパルタ教育がものをいったのだという証でしょう。少なくとも、諏訪での時行と頼重の生活の一端は、この「密書」から構想されたのかもしれませんね。戦いというのが、肉体を鍛えたり、武術を鍛錬したりするだけでなく、知識と情報を駆使してするものであることもまた、然りです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 さて、第115話の気になるポイント三つ目ですが、玄蕃と夏との違いです。「」とは、時継が止めるのも聞かずに現場が縄を解いた瞬間に逃げ出した、「天狗躯体」の中の女の子です〔第91話「直義1335」〕。どこに行ったのかと思いきや、ずっと逃若党の後をつけてきていたのですね。その点は優秀ですが、とても残念なことを言っているのに気づきましたか。

 「私の殺人技術は「天狗躯体」専用に身に着けたもの でも躯体あれは足利の職人にしか作れない
 「与えられた技は全て極めたのに 何故今こんなにも無力なのか!

 答えはすでに玄蕃が出しています。ーー「俺はこいつを一から造る!

 玄蕃は、「京の古物市で買って来た謎の爆発玉」を、作り手に頼らずに自らの手で作ろうとしています。「足利の職人にしか作れない」と最初から諦めている夏と、まったく対照的な態度です。
 さらには、その動機が「坊の逃げがなお一層面白くなるぜ!」という、〝ワクワク感〟なのです。「与えられた技は全て極めた」という受け身の姿勢の夏であれば、ありえないと感じるかもしれません。……まあ、「天狗」の統括は足利の「完璧執事」である高師直ですから、頼重とは違った方針でスパルタ教育を施していたのは想像に難くありません。

 近代の画一的な学校教育に限界が感じられる昨今、かつて教育の現場にいた私としては、時行の「生きる力」や、玄蕃と夏の物事に取り組む動機や態度の相違は、『逃げ上手の若君』の主要なテーマとして、時に歴史的な内容以上に関心を抱いています。

〔『太平記』(岩波文庫)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)、鈴木由美『中先代の乱』(中公新書)を参照しています。〕


いいなと思ったら応援しよう!