【『逃げ上手の若君』全力応援!】(164)無邪気な尊氏少年の変貌とは、自分の意志なのか、不幸な事件なのか? バグを排除したい師直よりもバグを受け入れて楽しむ顕家の方が、強烈な合理主義者なのかもしれない!?
「おい皆! 旅芸人の一座が来てるらしいぞ 見物してくる!」
少年時代の高師直の回想から始まった『逃げ上手の若君』第164話ですが、目先の楽しいことに流れる尊氏に対して、〝またか〟みたいな弟・直義と高兄弟にほっこりです。子どもの頃から芸能大好き尊氏というこの設定ですが、〝田楽ばっか観てないで仕事してください〟と、直義が尊氏を諫めていたといったエピソードに拠るものなのでしょう(『観応の擾乱』の著者である亀田俊和先生の講演会で聞きました)。
あまりに無邪気な尊氏少年に、私は毒気を抜かれました。ところが、一転ーー遅くに戻ったずぶ濡れの尊氏は、光を放ってはいるものの、とても健全な様子には見えません。師直は「神が宿った」と言っているのですが、私からすると〝宇宙人にさらわれた〟級の事件(事故?)なのではないかと感じてしましました。
魅摩の神力は、行き場を失くした神仏たちを自分の意志でその身に宿らせているものでした(第51話「神力1335」)。しかし、もし尊氏が望んでいるのではなくこんなことになってしまったのであれば、普通の少年たち(尊氏が主君となれば、それは尊氏だけの問題ではないので……)の普通の未来と幸せは、何者かによって〝奪われて〟しまったのではないかと思いました。
このシリーズでもたびたび、尊氏という人間は前世の徳がありすぎて強運なのだといった説明で古典『太平記』がすべてを片づけているという話題を取り上げていますが、逆に、前世の徳があって何事にも持ちこたえることができるであろうと認定され、なにがしかの力によってわけのわからない怪物にされてしまったのであれば、かわいそうな人なのかもと思ってしまったのです。
※尊氏の強運(ラッキーマンぶり)に触れた過去記事は、こちらをご覧ください。
アニメの『逃げ上手の若君』のエンディングでは、DJになってノリノリの尊氏が描かれていますが、案外あんな感じが尊氏の本来だったりするのかもしれませんね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「さあビビれ!」「爆発玉に信濃の石油を加えた新兵器」
間違いなく高師直をビビらせた「鉄炎砲」でしたが、「石油」に対して「くそうず」というルビが振られています。「くそうず」とは「くさみず」の音が変化したもので、「石油」の古い呼び方です。ーー「石油」臭いですよね。そうです、「くさみず」とは「臭い水」のことです!
『国史大辞典』には、「『日本書紀』に天智天皇七年(六六八)秋七月越国より燃ゆる土燃ゆる水を献じたことみえ、この燃える水が石油であると考えられている。」とあります。「越後国蒲原郡黒川(新潟県北蒲原郡黒川村)の原油は江戸時代以前から知られたと伝えるが、江戸時代になると頸城郡玄藤寺新田(同中頸城郡板倉町)、蒲原郡新津(同新津市)、刈羽郡妙法寺(同刈羽郡西山町)、三島郡吉水(同三島郡出雲崎町)などの油田が発見されて採掘されるようになった」ともあるので、大量に確保するというのでなければおそらく、地域的には信濃で「くそうず」が採れる場所があってもおかしくないでしょう。
いや、こういう事実を作品に取り込んでエンタメに昇華させてしまう松井先生は本当にすごい!の一言です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「時行!! 汝と最初に出会った隠れ家! 倒した木は師直だ!!」
〝え、北畠顕家何言ってるの!?〟と思いつつ、コミックス第14巻を見直しました(第117話「見極め1337」)。そうだったと思い出しながら読み直し、ブヒブヒしている時行に苦笑しました。そういえば、作品に登場したばかりの顕家は、お貴族様オーラ全開のいけすかないキャラだと思いました。弧次郎は露骨に反発していましたし、亜也子もまた顕家の美しさを認めながらもそこは嫌だと打ち明けていました。でも、ここまで時行たちとともに顕家の活躍を見てきた私たちはもう誰も、顕家がとんでもない差別主義者などとは思っていませんね。
「盲信者など引き連れるぐらいなら 気の合う獣を引き連れて余は戦う!」
顕家様、かっこよすぎ……。対する師直はというと、「おのれ虫め! 虫め!」と、何かが「ブンブンブン」と飛ぶのを感じています。第163話「マルチタスク1338」冒頭でも、「耳障りな虫」を「今ここで潰さねば」と考えています。文字の書かれた紙のようで、少し文字が見えてきていますが、何だかよくわかりません。
ただ、「虫」はバグ(bug)のことであるとしたら、高師直の合理性ではとらえきれない存在である、顕家や時行(もちろん、結城さんや南部さんも含まれる)たちのことを言っているのかと想像してみました。
「生物には差も別もある」として、同時にそれゆえに、奥州武士ひとりひとりへの「敬意」を欠くことのない、とてつもなく器の大きな「人間力」の持ち主が、北畠顕家という青年の正体です。「超越的な存在や合理的な思考の前には平等であるといった考えを前提とし、人間的な情と実践を伴って身分制度を超えた活動を展開した人間」(下記より引用)であったと、私は顕家の本質をそのようにとらえています。その点において、強烈な差別意識を持つと思われた顕家が、実のところ、師直以上の合理主義者、婆娑羅者であったとも言えなくはないでしょうか。
「全国民が崇めるべきは尊氏様のみ!」「崇めぬ者はただ滅べ!!」
これ、最悪です。尊氏だからというのではなく、誰であっても私は嫌です。絶対に従いません。「虫」でけっこうです。
デキすぎる男の師直ですが、このあたりは単純すぎると私は思うのです。師直だけでなく直義も、デキすぎる男の欠点は、尽くしすぎることなのかもしれません。大雨の中を帰って来て以降の尊氏は、もはや師直のことも直義のことも見てはいないと思われます。
そんな尊氏の力を利用するというのではなく、兄弟愛や忠義で支えようとする二人は、意外や意外、純情なのかも(そんなところで似た者同士だったの……!?)と勘ぐってしまいます。
〔参考とした辞書・事典類は記事の中で示しています。〕