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安彦忠彦『「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり』⑦(2019年4月1日)

 安彦先生は、「不易流行」の視点からコンピテンシーを考えます。

【不易】人格=個としての強さ・人間性・道徳性→(社会的)信用
【不易】学力=①道具的能力+②社会的能力
【流行】学力=システム的(実践的思考)能力

 国立教育政策研究所の「21世紀型能力」の三つの力のうち、「基礎力」が上記の①と②、「思考力」と「実践力」が③に当たるが、「思考力」と「実践力」を分けることのメリット・デメリットをよく考えなければならないとして、その点を考えているのが次です。

①道具的能力=基本的認知能力:基礎的な読み・書き・計算技能(小三~四までの3R’s)、ICT操作能力など  ※3R’s=読み・書き・計算

 「小学校三年までの読みの技能の質が低ければ、その後のあらゆる学習の質の向上も保証されない」ことを述べ、「教科学習で「基礎・基本」をしっかり身につけておくことが、総合的学習との関係を見る上でも重要」だとします。
 小学校四年ぐらいまでの、日常生活に必要な知識としての「基礎的な一般知識」、最低限の学習能力としての「学び方」や「学習意欲」は、「人間らしさの基礎=人間としての基礎」として、徹底した習熟が「平等に」めざされなければならないということです。

②社会的能力=対人関係能力:対人的スキル、新状況への適応能力、自由の相互承認・相互規制

 「討論や議論に積極的に参加し、効果的な論証や説得の能力を駆使」し、「自分とは異なった文化や環境など、周囲の状況に合わせて円滑にコミュニケートし、相手の異なった意見にも謙虚に耳を傾けるという、ほとんどマナーに近い基礎的なレベルの社会性」が求められます。

③システム的能力=高次認知能力:実践的学習能力、分析・総合能力、実践的適用能力

 これらは、人類的生存への最適化能力としての独創的創造能力(独創性・創造性)です。遺伝子の二重螺旋構造を解明したJ・ワトソンと、人工知能・ロボット工学の大家であるマービン・ミンスキーがともに、「文明や科学の進歩は集団の英知ではなく、個人の知能よるものであったこと、そして人間が「感情・エモーション」に支配」され、そのことが独創性や創造性に大きく関わっていることを安彦先生は重視します。「ここに「実践的」な学習能力や活用能力が入っているのがコンピテンシー・ベース」であり、「「人格」的要素までが「能力」に入れられてしまう問題」が生じることを先生は危惧します。「「人格」的要素のうち「学力」の中に通用するもののみが重視され、そうでないものは価値のないものと見なされる危険」があるからです。少し長くなりますが、以下引用します。

 コンピテンシーの長所は「実社会・実生活に活用される」という点にありますが、その活用が妥当なものか否かの判断の基準は、その能力自体からは生まれません。
 「知っている」学力から「知っていることを活用する」学力へ重点を移していかねばなりませんが、「何に、何のために」活用するのかは、別基準で考えるべきことであり、何にでも活用してよいわけではないことは明らかです。「活用」が一面的に言われる現在、改めてこの区別の重要性に気づくべきであると思います。
 とくにそれが問われるのは「人類的対応能力」として取り出して強調した、21世紀的な独自の能力においてです。これは原子爆弾で始まり、環境汚染で広がり、地球環境問題で深刻化している状況を念頭に置いたものです。これらの問題の登場は、人間が自己の存在を、それまでの自然に任せていればその回復力によってカバーされてきた時代を終わらせ、人間自身の力で保たねばならないという、「自己管理の責任」を負わせる新たな時代に入った、という歴史的段階にあることを自覚させます。単に、物的豊かさを享受していればよい時代ではないということです。このことは、コンピテンシーといった学力の「機能」(働き具合)に関する問題領域ではなく、高度に思想的・哲学的な、学力の「中身」を規定する問題領域であると言えます。


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