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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(156)エポックメイキングな後醍醐天皇の国づくりの当事者でありたい北畠顕家……足利尊氏の執事・高師直の心理も実は同じかもしれない!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年5月17日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「こ このばかでかい丘が墓なのかよ!?

 北畠顕家が「いにしえの名君」として説明する仁徳天皇陵の脇を行軍する場面で始まった第156話は、顕家の背後に常に見え隠れしていた後醍醐天皇の存在を考え直す回でもあったかと思います。

 「必ずや次こそは 仁徳天皇を超える名君に」

 うわ、顕家の後醍醐天皇に対する信頼感は想像以上だ……。
 日本の歴史上、仁政をおこなったという天皇は何人かいますが、仁徳天皇に関しては、伝説とされながらもレベル感が違うと感じています。なぜならば、大正生まれの祖母は政治に関心があって、よくTVのニュースなどを見て持論を展開していたのですが、気づくと〝仁徳天皇の政治は……〟と引き合いに出していました(戦前の教育の賜物とは思いますが)。

 さて、天皇は、高い山に登って、四方の国を見渡して、「国の中に、炊煙がたたず、国中が貧窮している。そこで、今から三年の間、人民の租税と夫役をすべて免除せよ」とおっしゃった。こうして、宮殿は破損して、いたるところで雨漏りがしても、全く修理することはなかった。木の箱で、その漏る雨を受けて、漏らないところに移って雨を避けた。
 後に、国の中を見ると、国中に炊煙が満ちていた。そこで天皇は、人民が豊かになったと思って、今は租税と夫役とをお命じになった。こうして、人民は繁栄して、夫役に苦しむことはなかった。それで、その御代をほめたたえて、聖帝の世というのである。
〔『古事記』下巻・仁徳天皇〕

 第156話の中で時行は、後醍醐天皇に対して批判的です(私も同じです)。
 
 「時行よ 後醍醐の帝に不満か?
 「え…」「…それは」「…不遜ながら正直に言えば 足を引っ張っておられると
 「わかるがな では若は戦略眼の有無で忠義の量が変わるのか?」「余が忠義を尽くす条件は… そこではないのだ

 政治の基本とは、テクニカルなところではないのかもしれません。それは臣が具体的に取り組めばよいことで、仁徳天皇の話に拠れば、優れた君の条件とは、民を真に思う心の深さと決断力ではないでしょうか。
 幕府の執権たる北条氏が「臣」であるというのは、古典『太平記』でも説かれていることで、時行や私はおそらく、テクニカルな面を重視する武家の「臣」たる立場での天皇評であり、公家である顕家だとまた違うのかもしれません。そうは言いながら『逃げ上手の若君』では、武士であっても楠木正成、公家ならば麻呂こと清原信濃守の、後醍醐天皇に魅了されて終えたその一生が、大変印象的に描かれていました。『太平記』の中で、藤原師賢が純粋に後醍醐天皇を慕う姿は涙を誘うほどです。とにかく後醍醐天皇は、謎多き天皇です。
 ※藤原師賢については以下で触れています。

 数年前、スピリチュアル界ではけっこう有名な人の対談本を本屋で手に取りました。その人のことは好きでも嫌いでもない(彼の熱烈な支持者は好きではない)のですが、日本の歴史がテーマだったので、買って読みました。
 後醍醐天皇も取り上げられており、天皇に「落ち度」があったのではなく、「周りにいた足利尊氏たちが後醍醐天皇の本当の気持ちを汲めなかった」のみならず、「使われた」「利用された」と書かれていました(「足利がね」の発言に吹きました)。「裏切られてしまった」のは「お気の毒に」という発言者は、「後醍醐天皇と言うのはきわめてエポックメイキングな天皇なのです」とも述べていました。
 ※エポックメイキング…ある事柄がその分野に新時代を開くほど意義をもっているさま。画期的。

 もしかしたら後醍醐天皇は、『逃げ上手の若君』の北畠顕家と同じ考えを持っていたのではないかと、私は想像しています。詳しく書くとものすごい量になりそうなので簡単にまとめると、個々の能力・資質に応じた人材登用に基づく国づくりではないかと思うのです。それは、家を基本とした特権を有する貴族にとっては望ましくないことでしょうし、武士でも自分たちだけがと思う一族にとっては邪魔な考えです。
 その点においては、いずれ時行も後醍醐天皇を理解する日が来るのかと思ったりしています。この考えは、『逃げ上手の若君』における北条氏の描き方との親和性が高い気がしています。

 ただ、東北で長年過ごした顕家は、わかってはいたつもりでも、理想の実現には想像をはるかに超えた現実との擦り合わせが必要であったことを、身をもって知ったのでしょう。しかしながら、後醍醐天皇の目指す国家が絵空事で終わってほしくない思いがあったゆえに、そしてまた、できないことではないという経験と自負があったからこその「諌言」だったと考えるのです。
 ※「北畠顕家奏状」は、日本思想大系(岩波書店)の『中世政治社会思想(下)』に収録されています。また、Wikipediaではわかりやすく解説も付されています。

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有名ゲームのボール?(わからないので調べてしまいました。捕獲と収納のアイテム
ということですが、師直軍と顕家軍では数のみならず種類も違うのでしょうか??)


 顕家をして、命をかけて「忠義を尽す」対象たる後醍醐天皇は、誰でも彼を好きになってしまう足利尊氏と似てなくもないです。その尊氏は、後醍醐天皇を裏切っています(本人にその自覚があるかはわかりませんが……)。不思議なものです。
 私のような凡人は、後醍醐天皇も足利尊氏も関わりたくありません。カリスマCEOの会社はブラックだという話を聞いたことがあります。おそらく、トップの頭の回転が速すぎて(あるいは直観的すぎて)、言っていることの意味が分からないであるとか、朝言っていたことが夕方には変化してすぐ対応しろとかいうのが、ザラなのではないかと思います。……耐えられません(逆にトップがダメ過ぎて、そういうことが横行したブラック企業をいくつも経験しています)。
 おそらく、北畠顕家や高師直は能力がすごぶる高いので、後醍醐天皇や足利尊氏というのは、自らを輝かすことができる、忠義を尽くすに値する主君なのだと思われます。そして何より、主君の「エポックメイキング」の当事者でありたいという、強い願望の持ち主であるのだと私は考えます。
 
〔日本古典文学全集『古事記』(小学館)を参照しています。〕

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 第156話で舞姿が描かれていた北畠顕家の「蘭陵王」については、下記の回をご覧ください。


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