安彦忠彦『「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり』④(2019年2月11日)
2018年末の記事で、本ブログの内容等を少し変えていきたいという旨を宣言しています。
そして、2019年初めの記事で、なぜそうするのかという理由をつづりました。
安彦先生は、「学力」が「学校の教育課程で育てられる能力」であり、単なる「能力」とは区別されたその学力を「理念学力」「測定学力」「形成学力」の三つの意味で区分します。
・「理念学力」=「目標学力」とも言えるもので、学校で育成すべき理念ないし目標とされる学力。
(例)「問題解決能力こそ学力である」「思考して活用する力を「学力」として育てるべきだ」などと言う場合の「学力」
・「測定学力」=「計測学力」とも言えるもので、何らかのテストなどによって計測された、測定値によって示された学力。テストの仕方を変えればその値も変わる性質のものだが、点数などで明確に数量的に示されるために通常の学力論争などではよく問題にされる。
(例)「学力が低下した」などと言う場合の「学力」
・「形成学力」=「実体学力」とも言うべきもので、実際に子どもの内部に形成された能力そのもので、その実体は知りえないものを言う。
※安彦忠彦「『生きた学力』の評価について―数量化的評価の反省と提案―」(『児童心理』1978年1月号)
次期学習指導要領で求められる「学力」は何かという場合は、「理念学力」あるいは「目標学力」のことを指し、それが「コンピテンシー・ベース」の学力であると言われたり、「21世紀の社会に求められる学力は何か」と言われたりしているというのが、安彦先生の考えです。ここで、先に先生が示した「人格」の定義を再び引用します。
人格とは、自我意識を働かせ、自己同一性を保ち、それによる善悪等の価値判断や自由な意志決定を行うなどの、主体的で自覚的な在り方や自律的能力が最大限尊重される、他のすべての生物・無生物とは区別される人間性(人間の独自性=人間らしさ)の全体的性格のことである
「人格」「学力」のとらえ方が明確になったところで、21世紀の全体を通して必要なものは何かについて考えは進められます。
産業界からも、「コンピテンシー」(実社会での活用能力に重点を置く)といったOECD/PISAの能力概念が国際標準として認められ、また外国語などを含む「コミュニケーション能力」の必要性が強調されていますが、実は「能力」をいかに優れたものに育てても、それを健全かつ効果的に使う「主体」がしっかり育っていなければ、宝の持ち腐れであり、場合によっては社会的に悪用されることになるでしょう。この意味で、「主体形成」こそ「人格形成」の核であり、「学力形成」を内に含む全体的な「人格形成」としての「全人形成」でなければならないのです。
(安彦忠彦「グローバル人材は『自立した人格』を要す」(『教育展望』2014年4月号)
よって、学校での役割を以下のようにとらえます。
「全人教育」が必要だといっても、「人格」の方が全体ですから、「人格形成」をしつつ、その一部として「学力形成」を行い、両者に矛盾がないようにする、というのが実際の形成の仕方であると言えます。以上のように考えると、学校では、主要には「学力形成」を行って副次的に「人格形成」を行い、「人格形成」の補いは「学校外」との協力によって進める、というのが穏当な方策だと思われる ―以下略―
※「学校外」…家庭や地域、社会全体。
(つづく)
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