見出し画像

ジェネレーションXの時代、あるいはカスタマイズとコミュニティ(5)(2008)

第6章 ポストジェネレーションX
 そんなジェネレーションXも、かつてのベビー・ブーマー同様、エスタブリッシュメントの側に回るときがやってくる。それを世界に印象づけたのが、2008年の大統領選挙に向けた民主党の指名候補レースだろう。これはベビー・ブーマーとジェネレーションXの対決でもある。1947年10月26日が誕生日のヒラリー・クリントンはベビー・ブーマーであり、バラク・オバマは1961年8月4日生まれのジェネレーションXに属している。元ファースト・レディはスティーヴン・キング、選挙選出による史上三人目のアフリカ系アメリカ人上院議員はダグラス・クープランドとそれぞれ同い年である。ヒラリーVSオバマはMS対Googleのアナロジーで把握できる。

 と同時に、新たな世代の政治デビューの場にもなっている。「ジェネレーションY(Generation Y)」、すなわちベビー・ブーマーの子供たちもオバマを歓迎している。彼らによる政治運動には、若者の「参加意識」がある。2008年2月23日付『朝日新聞』の「政治に動く若者たち」は若年層の政治参加がオバマ躍進の原動力だと報告している。今回の民主党の予備選挙では、20代前半の投票率や党員集会への参加が急上昇している。iPodを聴きながら、インスタント・メッセンジャーをやりとりしつつ、ブログを更新するジェネレーションYはネットを駆使し、草の根でオバマ支持の輪を広げている。活動の模様を文章や写真にしてブログに載せ、政治家が有権者に隠したい醜態や暴言、誇張も音声・動画ファイルにしてYouTubeにアップロードし、有権者に情報提供している。彼らはどの候補者についても政策などよくわからないが、オバマの反イラク戦争や変化に共鳴している。ヒラリーは経験を強調し、母親のように振舞い、自分への投票を”Yes, She Will”と呼びかける。一方、オバマは具体性が乏しいけれど、変化を雄弁に訴え、”Yes, We Can”と人々に運動参加を促す。熱狂に誘われた若者たちは一体感を覚え、「参加意識」を持っている。それは彼らにとってアイデンティティであるが、既存のものではない。オバマの「統合(Unity)」に立脚する新たなアイデンティティにほかならない。

 ジェネレーションYは、親の世代が社会保障や税制など直接的に自分の生活に影響を及ぼすトピックにしか関心がないと憤る。しかし、それは政治が暮らしだということを理解していないにすぎない。そもそも、親たちも、彼らと同様、かつては世界平和を実現したいと発言し、行動している。国境を超えた世界との連帯やエコロジーを始めたのはベビー・ブーマーである。また、「サイバー・スペース(Cyberspace)」や「アクセス(Access)」などジェネレーションYが日常的に使うICTに関する用語も、ベビー・ブーマーに属するウィリアム・ギブスン(William Gibson)の『ニューロマンサー(Neuromancer)』に由来している。

 カスタマイズやコミュニティへの志向にしても、ジェネレーションXから始まったわけではなく、ベビー・ブーマーにも見られる。森毅は、『加害者・団塊の世代よ、あんじょう老後のスタイルをつくってや』において、ベビー・ブーマーを分析している。ベビー・ブーマーは「軍隊的な感覚」を打破すべく、数にものを言わせて、多種多様なライフ・スタイルを提示してきている。この創造力が彼らの最大の意義と言える。その反面、物事を戦略・戦術で見る「軍隊的な感覚」があり、時として人を「駒」として使いたがる。カール・ローブが象徴的な例だが、ウィナーになるためなら、えげつなく、なりふりかまわない姿勢も辞さない。また、ベビー・ブーマーは、「68年世代」の別名があるように、政治運動という共通の体験を持っているので、それを基盤に同世代で群れる傾向がある。違う世代を排除し、自分の世代だけで固まる風潮は彼らから始まっている。ジェネレーションXはこうしたベビー・ブーマーの残したツケを払わされている。

 ベビー・ブーマーは、以後の世代への継承を考慮して、新たな地平を開拓していたわけではない。そのため、逆コースをたどってしまったケースさえある。1968年、アメリカは分裂寸前まで追いこまれている。ベビー・ブーマーは人種分離に反対し、その融合を進めている。けれども、今、その子供たちは教室では、水と油が分離するように、肌の色で別々に座っている。2007年11月23日NHK・BS1で放映された『人種統合 50年目の真実』は アーカンソー州リトルロックにあるセントラル高校の現状について報告している。ここは人種統合をめぐり全米のみならず、世界中から注目を浴びた「リトルロック・ナイン(Little Rock Nine)」の舞台である。1957年、黒人と白人の共学に関して州政府と連邦政府が対立し、軍隊が高校を占拠する中、黒人生徒9人が初登校する。その高校でさえ、生徒たちは人種ごとに分かれて椅子に腰を下している。彼らは社会的雰囲気に強制されているわけでも、レイシズム的意識を持っているわけでもない。ただ話が合うもの同士で集まっているだけだ。音楽やスポーツ、趣味も、生活環境もみんな違う。オバマの「統合」に共感し、家庭で親たちを「自分のことばかり考えている」となじりながら、教室において、パレスティナやバクダッドのようにvisibleではないけれども、彼らはガラスの分断壁を経てている。

 ジェネレーションYは「通過の世代」、すなわち「パッセージ・ジェネレーション(Passage Generation)」と言い換えられよう。それは1980年から2001年9月11日までに生まれた層と区分できる。彼らは9・11を通過した世代である。あの日に自分が何をしていたかを覚えている、ないし誰かが覚えており、その時点で多くが通過儀礼を済ませていない未成年である。あの日以降に生まれた層は「ジェネレーションZ(Generation Z)」と呼べるかもしれない。

 ジェネレーションYは、アメリカにおいて、携帯電話の機能を最も使いこなしている層である。通話料収入や加入者数の伸び悩みのため、アメリカでも携帯電話の高機能化が進んでいる。移動電話ビジネスはいまやモバイル産業へと発展している。ジェネレーションYは、ケータイの新たな可能性を見出し、眼現時点で、彼らを最も表象するメディアである。

 そのケータイを片時も手放さないジェネレーションYは自我が目覚めるときに、ジョージ・W・ブッシュ政権の狂信と幻滅の社会をすごしている。このネオコンのワシントンはイラク戦争を強引に始めただけでなく、京都議定書にも加わろうとしない。今日の国際的な最重要課題は地球温暖化であり、彼らはエコロジー・ポリティクスの時代を生きる。それはもはやロマンスでは捉えられない。自意識の優位さの確認をしている場合ではない。百科全書的な体系的・総合的知識・認識に基づく「アナトミー(Anatomy)」の時代が到来する。ジェネレーションYは、先行世代と違い、自分探しに躍起になることはない。

 現在の環境問題は、地球温暖化が典型であるけれども、従来の枠組みでは捉えられない。未来性・グローバル性・カオス性がある。地球温暖化は現に起きている事態と言うよりも、このままでは訪れるだろう未来の危機である。また、温室効果ガスの地球規模への拡散が問題になっている。しかし、土壌汚染にしろ、海洋汚染にしろ、一定領域にある濃度の汚染物質が留まってしまうから起きたのであって、拡散できるのなら、被害は拡大しない。 さらに、直接的に生体に害を及ぼす有機水銀やダイオキシンと違い、温室効果ガスの一つである二酸化炭素自身は有毒ではなく、それがさまざまな要素と複雑に絡み合って温暖化を招く。大気だけでなく、海洋なども考慮しなければならず、温暖化の詳しいメカニズムはよくわかっていない。未来性・グローバル性・カオス性へと発想を転換し、環境問題への対応には総合的な認識が不可欠である。環境問題は対処療法的姿勢では十分ではない。数理モデルに基づくコンピュータ・シュミレーションで予測を立て、生活習慣病を予防するように、問題を生み出す現在の社会の仕組みを改善する必要がある。このシミュレーション技術はゲームと共通している。

 ジェネレーションXやジェネレーションYがどう思おうと、戦後の価値観やライフ・スタイルを創造し続けたのはベビー・ブーマーである。彼らは数、すなわち市場規模によってそれを可能にしている。コンピュータにしろ、ゲームにしろ、ベビー・ブーマーがその基礎を築いている。一方、ジェネレーションXが商業主義に反発を覚えるのは、それがベビー・ブーマーの数にものを言わせる発想に基づいているからである。ベビー・ブーマーの敵が「軍隊的な感覚」だったとすれば、ジェネレーションXでは、数の論理である。ジェネレーションXはベビー・ブーマーの意義と抑圧を清算し、育て、ジェネレーションYなど後の世代に引き継ぐという歴史的役割を担っている。ベビー・ブーマーが戦後の創業者だとすれば、ジェネレーションXは二代目である。この中継ぎのために、アイデンティティを過剰に求め、カスタマイズとコミュニティに躍起になる。しかし、「二代目というのは本来その責務があるわけでしょ。文化的遺産があるわけだから、その文化を育てなければいかんというね」(森毅『二代目はますます花盛り』)。ゆとりがなく、先代を超えるべく自己に囚われた二代目ほど破滅的なものはない。

 ジェネレーションXは克服されるべき世代であり、そのデカダンスによって存在意義がある。ネットやゲームは自分たちの世代のものだという思い上がりは独善的でしかない。ベビー・ブーマーが数の論理に陥りがちだとすれば、ジェネレーションXは独善性に入りこむ。ジェネレーションYはその悪癖に反発を覚えるだろう。世代はこのようにして交代していく。
〈了〉
参照文献
天川晃=御厨貴、『日本政治史─20世紀の日本政治』、放送大学教育振興会、2003年
小栗康平、『映画を見る眼』、日本放送出版協会、2005年
柏倉康夫他、『情報と社会』、放送大学教育振興会、2006年
小林良彰他、『新訂政治学入門』、放送大学教育振興会、2007年
近藤康太郎、『朝日新聞記者が書いた「アメリカ人が知らないアメリカ」』、講談社+α文庫、2005年
田中康夫、『なんとなく、クリスタル』、河出文庫、1983年
長岡亮介=岡本久、『新訂数学とコンピュータ』、放送大学教育振興会、2006年
長谷川寿一、『進化と人間行動』、放送大学教育振興会、2007年
長谷川真理子、『動物の行動と生態』、放送大学教育振興会、2004年
村上春樹、『ノルウェイの森』上下、講談社文庫、1991年
森毅、『森センセイは本日急行』、KKベストセラーズ、1992年
同、『人生忠臣蔵説』、KKベストセラーズ、1998年
同、『二番が一番』、小額館文庫、1999年

アントニー・ダウンズ、『民主主義の経済理論』、古田精巧一監訳、成文堂、1980年
ノースロップ・フライ、『批評の解剖』、海老根宏他訳、法政大学出版局、1980年
ウィリアム・ギブスン、『ニューロマンサー』、黒丸尚訳、ハヤカワ文庫SF、1986年
ダグラス・クープランド、『ジェネレーションX 加速された文化のための物語たち』、黒丸尚訳、角川文庫、1995年
クリス・ヘッジズ、『戦争の甘い誘惑』、中谷和男訳、河出書房新社、2003年

Coupland. Douglas, Generation X: Tales for an Accelerated Culture, St. Martin's Griffin, 1991
Gibson. William, Neuromancer, Ace Books, 1984

Mori. Masahiro, “The Uncanny Valley”, Energy, 7(4), pp. 33-35, Trans. Karl F. MacDorman and Takashi Minato
http://www.androidscience.com/theuncannyvalley/proceedings2005/uncannyvalley.html Thompson. Clive, ”Monsters of Photorealism”, Wired, 5. Dec. 2005
http://www.wired.com/gaming/gamingreviews/commentary/games/2005/12/69739

NHK・BS1、『人種統合 50年目の真実』、2007年
Discovery Channel, History of Video Games1-5, 2006
PBS, The Video Game Revolution, 2004

DVD『エンカルタ総合大百科2007』、マイクロソフト社、2007年

Albert
http://www.albert2005.co.jp/index.html
asahi.com
http://www.asahi.com/
Encyclopedia Britannica Online
http://www.britannica.com/
ファミ通.com
http://www.famitsu.com/
Guinness World Records
http://www.guinnessworldrecords.com/
NIKKEI NET
http://www.nikkei.co.jp/
The Video Game Museum
http://www.vgmuseum.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?