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梶井基次郎、あるいは冴えかえった色彩(3)(1993)

3 梶井とニーチェ
 しかし、梶井はその地点でとどまらないけれども、マルクスとは違う道を進む。彼は、『のんきな患者』の最後の部分で、マルクスの認識を最終的に次のように批判している。

 吉田は平常よく思い出すある統計の数字があった。それは肺結核で死んだ人間の百分率で、その統計によると肺結核で死んだ人間百人についてそのうちの九十人以上は極貧者、上流階級の人間はそのうちの一人にはまだ足りないという統計であった。勿論これは単に「肺結核によって死んだ人間」の統計で肺結核に対する極貧者の死亡率や上流階級の者の死亡率というようなものを意味していないので、また極貧者と言ったり上流階級と言ったりしているのも、それがどのくらいの程度までを指しているのかはわからないのであるが、しかしそれは吉田に次のようなことを想像せしめるには充分であった。
 つまりそれは、今非常に多くの肺結核患者が死に急ぎつつある。そしてそのなかで人間の望み得る最も行き届いた手当をうけている人間は百人に一人もないくらいで、そのうちの九十何人かはほとんど薬らしい薬ものまずに死に急いでいるということであった。
 吉田はこれまでこの統計からは単にそういうようなことを抽象して、それを自分の経験したそういうことにあてはめて考えていたのであるが、荒物屋の娘の死んだことを考え、また自分のこの何週間かの間に受けた苦しみを考えるとき、漠然とまたこういうことを考えないではいられなかった。それはその統計のなかの九十何人という人間を考えてみれば、そのなかには女もあれば男もあり子供もあれば年寄りもいるにちがいない。そして自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことの出来る人間もあれば、そのいずれにも堪えることの出来ない人間も随分多いに違いない。しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることの出来ない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応なしに引摺ってゆく--ということであった。

 この統計は格差問題の重要な点ををよく示している。経済的格差が健康のそれと相関する。衛生状態や食糧事情、健康情報などヘルス・ケアに関する差もあるからだ。一億総中流化の神話が浸透してきた時期に忘れられていたが、バブル経済崩壊後に蘇る。

 吉田の解釈は先の引用以上にニヒリズムを押し進めている。梶井が展開していることは死から見られた生の姿ではない。梶井同様、結核に悩まされた正岡子規の「主観的の感じ」と「客観的の感じ」(『死後』)という二重の姿勢が梶井にはある。それは、死ぬことは誰においても訪れるものであると同時に、他者とは交換不可能なものであるという思考ではない。「最後の死のゴールへ行くまでは」と言っているように、あくまでも生の姿である。こうした主張はハイデガーの「死は現存在の最も固有な可能性なのである」(『存在と時間』)という考え方とは根本的に違う。死は生の条件だ。梶井にとって、「病気」を通して見るとき、死が「最も固有な可能性」であるかどうかを問題にすることは誤謬であって、生きることそのものこそ「最も固有な可能性」である。

 「病気」というものは「最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応なしに引摺ってゆく」、すなわち「病気」はいかなる人間をも死ぬまで苦しめる。人間は「病気」に苦しまざるを得ないが、その苦しめられるということにおいては、現実的な階級による区別と関係なく、誰もが等しい。『不如帰』に見られるような肺結核による神話作用はここにはもはやない。これは、ニーチェの『この人を見よ』の言葉を借りるならば、「病者の光学によってより健康な概念と価値を見わたし、さらにそれとは逆に、豊かな生命の充実と堅固さからデカダンス本能のひそかな作業を見下ろすこと」である。

 「病気」の前では一切の自由意志は許されない。死をも自由に選択し得る生き方をしたとしても、「病気」の前では、その自由の感覚は錯覚にすぎない。「病気」は現実上の同一性を基盤とする区別を解体してしまうから、死んでしまえばすべては終わりと思うことすらも禁止されてしまうため、「病気」は死の「固有性」を奪ってしまう。「病気」は人間の内面・外面を含めたすべての意味づけを相対化してしまうのであり、それはニヒリズムの極限である。

 二重の姿勢の欠如では、「病気」は、そのニヒリズムゆえに、「迷信」や「宗教」に反動的に回帰してしまう人間を出してしまう。「病気」にルサンチマンを抱いている状態はまだその作業の途上でばてているにすぎない。梶井は、「僕は身体はもう大分悪いのですが、必らずもう一度精神的な健康に立ち帰り得る自信を持っています」(一九三一年一月一七日尾崎士郎宛書簡)と書いているように、ルサンチマンという精神的病とはほど遠い。「精神的な健康」の所有者だけが「病者の光学」を使いこなせるのである。「生きているのは面白い。健康が一番幸福だ。そして、死ぬのが楽しみだ」(丹波哲郎)。

 読書や執筆なども、本来、そうした「病気」に属している。人の眼が健康的に機能するには、それらを行うのに、眼と対象の距離が近すぎるのであり、知識人たる資格は「病者の光学」を身につけることである。こうした「病者の光学」の常軌を逸した徹底的な推進は自分自身を二重化し、健康的な笑いを引き起こさずにはいられない。

 一方が、もう一方に対して、冗談をついつい語ってしまう。「病院の狂人たちは皆、自分の優越の観念が度はずれに発達している、とは知られわたったことである。私も卑下性狂人というものはあまり見たことがない。笑いは、狂気の最も頻繁で最も数多い表現の一つであることに、留意していただきたい。……生の根本的諸条件から外れてしまった[笑いは]、……着々と進んで摂理の命令を執行する病気さながら、決して眠ることのない笑いだ」(ボードレール『笑いの本質』)。

 破瓜型の患者は、エーレンツワイクによると、相手を矮小化して、辛辣な冗談を、「着々と進んで摂理の命令を執行する」ように、楽しむ傾向にある。ボードレールの言う「病院の狂人たち」は彼らを意味している。二重の姿勢がないので、相対的に他者を縮小しないと、存在が脅かされる。二重の姿勢がなければ、笑いも「生の根本的諸条件から」外れてしまい、モノローグ的な負け惜しみに堕してしまう。

 こうした笑いの中、梶井の視点は、マルクスのように、直接的な現実改革ではなく、「病気」そのものに向かう。彼にとって、社会的条件は決して優先的なものではなく、その如何にかかわらず、生がいかに充実され得るのかということこそが第一である。どんな恵まれない時代や場所に生まれてきたとしても、生はそのうちにその都度充実される必要がある。プロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争は、個人の生の意味の一般的条件を満足するにすぎない。

 梶井の作品に『資本論』の姿がはっきりと表われないのは、梶井の『資本論』に対する批判がマルクスの哲学の根幹について行われたからである。梶井は、革命への手引書と見なしていたプロレタリア文学者たちよりも、『資本論』の根幹を適切に把握している。『檸檬』から『のんきな患者』まで認識の転回が見られない以上、梶井の思考は『資本論』の読解によって直接的に与えられたものではない。彼が『資本論』から得たものは、暗黙の裡にすでに保持していた認識を明示化したことである。

 梶井にとって、マルクスの哲学は受け継いでいくものではなく、批判的に解釈していくものである。マルクスの理論を否定するのではなく、その意義を受けとめた上で、さらなる考察を追及する。彼はマルクスの問題それ自体を変更しているが、彼のマルクス批判は、内容だけに限らず、作品の構成そのものにおいても、見出せる。梶井の作品は、中野重治の作品にひそんでいるようなマルクス的な弁証法ではなく、むしろ、ニーチェの『悲劇の誕生』におけるディオニュソス的=アポロ的の二つの契機のダイナミズムを体現している。


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