見出し画像

黒澤明と人材育成(2012)

黒澤明と人材育成
Saven Satow
Sep. 06, 2012

 「人を使うなら、人を育てなければならない。
 育てた人、育てた才能だからこそ、使えるのである。
 よい建物をつくるためには、檜や杉を育てなければならない。
 棒切れや板っぺらを拾って来てつくれるのは、塵箱ぐらいなものだ」。
黒澤明『蝦蟇の油』

 1998年9月6日に88歳で亡くなった黒澤明監督は、生前、映画監督を育てるには「兵学校」の方式でなければならないと主張している。

 兵学校は、戦前、海軍の兵科将校を養成する海軍兵学校の略称である。この初級士官養成機関は入学が難関で、4年程度の履修課程を通じて海軍将校として必要な各種の知識・技術・教養などを一通り教育する。なお、提督などの高級士官に昇進するためには、卒業後、海軍大学校へ進学しなければならない。

 制度化された近代軍において、叩き上げが将軍に昇進することはない。幹部は候補生として専門機関で養成される。彼らは特定の兵科に特化して教育されることはない。将軍は、複雑な状況の中で、大局的な観点に立って、大集団を指揮しなければならない。戦術を知っていても、各兵科に精通し、各部隊を掌握していなければ、指令できない。そのため、将来のジェネラルとして陸軍や海軍内で必要な知識・技術・教養などを全般的に学習する。卒業後、さらにジェネラリストとしての能力を高めるために、国外も含めて赴任地を異動して回り、昇進していく。

 映画監督はスペシャリストではなく、将軍同様、ジェネラリストでなければならない。映画の演出は、黒澤監督の『蝦蟇の油』によると、シナリオを具象化し、フィルムに定着する仕事である。そのために、撮影や照明、録音、美術、衣装、小道具、扮装などに適当な指示を与え、俳優の演技を指導する。ある分野には詳しいけれど、それ以外はスタッフに任せるようではいい映画監督ではない。「映画製作の万事に精通していなければ、監督は勤まらない」。

 「兵学校」式教育は黒澤監督の独創と言うよりも、1936年に入社したP・C・Lの方針である。同社は現在の東宝の前身である。当時は新しい映画会社であったため、すべてにたどたどしかった反面、基本に正直であり、新人スタッフの育成が習うより慣れろ式ではなく、明示的である。

 P・C・Lは、助監督を将来の監督と考え、映画製作に必要なすべての部門に通じさせよる育成方針をとっている。黒澤助監督も、それに則り、現像場を手伝い、大道具にも携わり、脚本にも編集にも立ち会い、エキストラやロケの会計までしている。

 また、監督も助監督を幹部候補生として演出をしばしば任せている。オン・ザ・ジョブ・トレーニングというわけだ。クロサワの師匠山本嘉次郎監督などは、助監督を育てるために、自分の作品を犠牲にしていたと思えるほどだったと言う。黒澤監督は、1943年、こうしたシステムによる最高のジェネラリストの一人として『姿三四郎』によってデビューし、以後、数々の独創的アイデアで国内外に衝撃を与える。

 映画界の人材育成システムは、残念ながら、黒澤監督の提言通りには進んでいない。1970年頃から、財政上の理由により映画会社は採用を抑制、監督やスタッフはフリーを余儀なくされ、食うためにとテレビ界へと流出する。専門学校や大学の映画科が人材養成を担うようになる。

 しかも、撮影所も売却されたり、縮小されたりしたため、自社ブランド製作はほとんどない。現在は、テレビ局や出版社、新聞社など異業種が参入した製作委員会方式が主流で、商業主義を偏重した作品が大半である。

 率直に言って、日本の映画界は黒澤明のようなジェネラリストを好んでいない。65年の『赤ひげ』以降、黒澤監督には映画製作の機会がなかなか与えられなかったことは確かである。

 オランダの比較経営学者ヘールト・ホフステード(Geert Hofstede)の『多文化世界』(1991)の分析を援用するなら、日本社会はそもそもジェネラリストに好意的でない。ホフステードは、50ヵ国と3の地域への各種の社会調査を元に、「権力格差」や「個人主義−集団主義」、「男性らしさ−女性らしさ」、「不確実性の回避」の四つの次元から分析し、それぞれの文化的特性を明らかにしている。先進国の中で日本は「不確実性の回避」が最も高く、この項目の全体でも7位である。

 「不確実性」は客観的リスクではなく、主観的あいまいさを意味する。この傾向が顕著だと、唯一の正解への志向が強く、ミスに関して非寛容的である。この道一筋の専門家が信頼される。素人と専門家の線引きをはっきりさせ、役割分担を図る。逆に、あいまいさのために、多彩な才能を発揮する人物には好意的ではない。そこではスペシャリストが歓迎され、ジェネラリストは避けられる。ちなみに、イギリスなどでは専門バカは軽蔑され、つかみどころのない独創的才能が高く評価されるようである。

 2012年版ものづくり白書の企業が考える現場力に関するアンケート調査によると、その弱みとして挙げられているのが「大局観をもって物事の本質を見極める」や「独創的なアイデアに富む」などである。白書は事実記述にとどまり、これ以上の掘り下げをしていない。この結果が意味しているのは、企業がジェネラリストを養成してこなかったということである。前線司令官はジェネラリストでなければ勤まらない。グローバル化時代に対応できる経営者の人材が社内に育っておらず、近年、社長を公募する企業が続出している。

 実は、「兵学校」方式を人材育成に採用している日本企業もある。その一例が資生堂である。同社では幹部候補生には全般的な知識・技能・教養・経験を身に着けさせるため、頻繁に異動を繰り返させる。同じ部署に長くいる社員は出世が見込めない。幹部にはスペシャリストではなく、ジェネラリストの能力が要求されると同社が考えているからだ。そうした人材には、定期的に開催しているグローバルBCコンテストが示しているように、性別や国籍も問わない。同社は海外での売り上げも伸びており、グローバル化に対応できている企業の一つであろう。

 黒澤監督の人材育成論は映画界にとどまらず、広く今日の日本の産業界に通じる提言である。と同時に、なぜ監督が日本以上に世界からリスペクトされているのかの一つの理由でもある。
〈了〉
参照文献
黒澤明、『蝦蟇の油』、岩波書店、1984年
G・ホフステード、『多文化世界』、岩井紀子・岩井八郎訳、有斐閣、1995年
『PLAYBOY日本版』No.398、集英社、2008年3月
経済産業省・厚生労働省・文部科学省、「2012年版ものづくり白書」、2012年6月5日
http://www.meti.go.jp/report/whitepaper/mono/2012/index.html

いいなと思ったら応援しよう!