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デリダと哲学教育(1993)

デリダと哲学教育
Saven Satow
Nov. 14, 1993

「アルジェリアで私は文学と哲学を学び始めました。書くことを夢見て、すでにモデルが特定の言語が管統治するその夢を示唆していたのです」。
ジャック・デリダ

1 教育者ヘーゲル
 大学で哲学を講じていた印象が強いG・W・F・ヘーゲル(1770~1831)であるが、中等教育に携わっていた時期がある。その際、彼はギムナジウムの校長を務めていたこともある。

 ヘーゲルは、チュービンゲン大学卒業後、学究生活を希望したものの、思い通りに行っていない。家庭教師をしていたけれども、生活は苦しい。そんなヘーゲルの元に、バンベルクの行政官で、同郷の友人フリードリヒ・イマヌエル・ニートハンマー(Friedrich Immanuel Niethammer)が苦境のヘーゲルに『バンベルク・ツァイトゥンク(Bamberger Zeitung)』紙の編集の仕事を紹介する。バンベルクは、現在、バイエルン州オーバーフランケン行政管区の郡独立市で、バンベルク郡の郡庁所在地である。母の影響から、ヘーゲルは少年時代より時事問題に関心を寄せており、この仕事を承諾する。ヘーゲルはこのバンベルクで1807年3月から1808年11月までジャーナリスト生活を送る。ただ、ヘーゲルは親ナポレオン派である。戦時下の厳しい言論統制により、その彼が自由に編集したり、論説したりできる状況にはなく、不満を募らせている。

 そんな時、バイエルン王国ミュンヘンに移ったニートハンマーからニュルンベルクのエギディウス・ギムナジウム(Egidius Gymnasium)の校長をやらないかという誘いがヘーゲルの元に届く。ニートハンマーはバイエルンの教務局の高官に就任、教育制度改革を進め、ギムナジウムのカリキュラムをフランス式の新人文主義教育、すなわち啓蒙主義に基づく教養主義へと再編成することを試みている。それは理性を重視して教育をキリスト教会の影響から解放することである。ヘーゲルは、大学卒業後に家庭教師をしており、中等教育を教えた経験がある。そうした経歴も考慮してニートハンマーはこの改革を教育現場で実施する役目をヘーゲルに依頼したというわけだ。

 ヘーゲルは校長として学校運営に携わりながら、改革が求める哲学や論理学などの新設教科の指導にも当たっている。その際、ヘーゲルは14~19歳の生徒たちのための教科書の執筆を始める。これは専門家に向けた学術論文と内容も形式も異なる。10代のための新しい時代にふさわしい教養学習が目的であるので、広い領域を体系的に整理してわかりやすく書く必要がある。それには研究者ではなく、教育者としての姿勢が求められる。そうした目的から表わされた代表的著作が『大論理学(Wissenschaft der Logik)』(1816)である。

 ところが、これが出版されると、思わぬ反応が起きる。この教科書がアカデミズムの目に留まり、大学から正教授の話がヘーゲルの元に寄せられる。1816年秋、ヘーゲルはハイデルベルク大学の正教授に就任、家族そろってニュルンベルクを後にする。

 ヘーゲル校長は新しい時代にふさわしいリベラル・アーツを構想していたと考えられる。それは啓蒙主義的理想としての人間像を目指すものだ。近代社会において自由で自立した思考をするための教養教育には伝統的リベラル・アーツに代わる革新的それが必要である。伝統的教養教育、すなわち七つの自由学科は三学(トリウィウム)と四科(クワドリウィウム)によって構成されている。前者は文法学・論理学・修辞学、後者は幾何学・算術・天文学・音楽である。

 ヘーゲルは、ハイデルベルク大学の講義に使用する目的で、1817年、『エンチクロペディー』を出版している。この百科事典は論理学・自然哲学・精神哲学によって構成されている。こうした体系は、精神哲学が示すように、伝統的リベラル・アーツのそれと異なっている。また、啓蒙主義の百科全書同様、神を頂点とする秩序を有していない。つまり、理性を重視した学問体系である。

 教養教育は自由で自立した思考を学ぶものだ。ヘーゲルはその際に重要なのが理性であり、哲学はその学習に適している。彼の哲学は弁証法的論理を基盤にしている。そのため、論理学の学習が必須である。何を考えるかの前にいかに考えるかを習得していなければならない。その理解に基づいて、体系的に知識を学習する。それがヘーゲルの教養教育である。

 こうした進歩的教育改革に対する保守派からの批判もある。おりしも、当時は1815年から始まるウィーン体制の時代である。哲学教授ヘーゲルは、哲学教育を問題視する国家権力に対し、少年時代や教師時代の経験を振り返りつつ、擁護の意見を書き送っている。このようなヘーゲルの姿勢に自らを重ね、教育への政府による干渉を批判したのがジャック・デリダである。

 ジャック・デリダ(Jacques Derrida)は、1930年、当時フランス領だったアルジェリアの首都アルジェでユダヤ系として生まれ、エコール・ノルマルで哲学を専攻し、ル・マンのリセの教師、ソルボンヌの一般哲学科の講師を経て、現在はエコール・ノルマルで思想史担当の教授を務めている。その彼がヴァレリー・ジスカールデスタン政権下のフランスの文相ルネ・アヴィが進める教育改革に反対し、『ヘーゲルの時代(L’âge de Hegel[i])』などの論文を公表している。次にそれを見てみよう。

2 アヴィ改革
 1975年、ジスカールデスタン政権下のフランスの文相ルネ・アヴィが教育制度の改革を公言し、「教育制度の現代化のための諸提案」と題する147ページにも及ぶ改革案を発表している。それは、いわゆる「アヴィ改革」と呼ばれる教育基本法の制定で、幼稚園からバカロレアにいたる教育制度を現代化することを目的とし、初等教育における厳しさの緩和、リセにおける哲学教育の時間数の削減や教科の自由選択制の導入を盛りこんだ実用的知識を優先する教育改革案である。「アヴィ改革」が公表されるやいなや、各地で抗議行動が盛んに行われたが、1978年秋の新学期からこの教育改革が強行される。幼稚園教育から、小学校、リセへと漸次進められる。1980年の新学期からリセにおける哲学教育の時関数の削減および教科の自由選択制が開始され、1983年に至って、「アヴィ改革」は完了する予定とされる。

 アヴィ改革は1969年に制定されたジョルジュ・ポンピドゥー政権のギシャール法を引き継ぐものである。公立学校における伝統的な知識注入型の教育を改め、子どもを中心に置く新教育理論に基づいて、小学校の「3区分法」を導入している。これは全教科を基礎教科・目覚まし活動・体育スポーツに分け、生活に密着した活動を中心とする改革である。

 アヴィ改革は教育の現代化の促進を目的にしている。生徒に現代社会に必要な価値観の形成を働きかけ、認識の獲得方法並びにその内容の表現手段となる道具教科の学習活動を強化する。また、教師・父母・生徒の三者による学校共同体の概念を提唱、現場の自由裁量権の拡大や人間の全面発達を目指す協同生活創造型のカリキュラムを編成する。反面、哲学教育の時間・内容の縮小を打ち出している。教育の現代化の名の下に哲学的思考を教育から排除する政治権力の思惑が想像できるというわけだ。

 それに対して、デリダが属しているGREPH(Groupe de Recherches sur I'Enseignement Philosophique: 「哲学教育に関する諸考察のグループ」)が共同編集で『誰が哲学を怖れているか(Qui a peur de la philosophie)』という本を公表する。GREPHはフランス政府の哲学教育に対する抑圧政策に抗議するために1974年に中堅から若手の哲学教師や学生を中心に結成された研究グループであり、デリダの他にサラ・コフマンやベルナール・ポートラらが所属している。ジャック・デリダは、哲学者であると同時にエコール・ノルマルで実際に教鞭をとる哲学教師として、この本において、1977年、『ヘーゲルの時代』と『哲学とその学級(La Philosophie et ses classes』』の二つの論文で新たな哲学教育の擁護を展開している。

 率直に言って、デリダの論文は、いつものレトリックと論理を展開しており、哲学教育不要論者を説得する気があるのかはなはだ疑問である。『ヘーゲルの時代』にデリダはヘーゲルのさまざまなテクストから引用しているが、論文の趣旨からもっとコンパクトにすべきだろう。デリダは哲学教授の職を失うことを危惧したり、自身の教育経験への郷愁により保守的態度をとったりしているわけではない。アヴィ改革の真の意図は、彼の『ヘーゲルの時代』や『哲学とその学級』によると、大学における哲学を専攻する学生の数を減少させ、担当の教授を減らし、中等教育のみならず大学においてもその学問を排除させることが目的である。「哲学-の-学級-の-廃止」は決して曖昧であったことはないが、「哲学-の-学級-の-擁護」は「つねに人々が一般に思っている以上にその動機づけが曖昧だった」。攻撃的な反作用で権力に対抗しようとするなら、こうした抑圧に武器を与えてしまうことになる。権力と同じことをしてしまうのは、哲学に対する攻撃が真に明確であるのに対してその擁護があいまいだからだ。

 哲学教育の不要論は明快だが、必要論はあいまいである。それは社会の中の哲学の位置づけがはっきりしないことによる。だから、哲学教育の擁護は自明のことではない。デリダは哲学を「遊び」と見なしている。哲学は社会にとって、アクセルペダルにあるような「遊び」である。だが、それはいつでもたんなる「戯れ」としての「遊び」に転換されやすい危険性がある。

 その上で、デリダは『ヘーゲルの時代』において次のように言う。「あらゆる〈大学〉にはヘーゲルの時代がある。この手本(定義上普遍的であろうとする手本)は、つねに特殊な国家(プロシア国家、ナポレオン一世と三世との国家、ブルジョア共和制の国家、ファシストの国家、社会-民主主義国家、人民主義的あるいは社会主義的民主主義国家)の諸勢力との交渉と妥協しているがゆえに、この手本の持つ諸概念、諸手段、諸実践の脱構築化によって直接的にこの手本を攻撃してそれを消失させようと試みても、同じようにその手本に満足することのできるような他の勢力が直接的に復帰するおそれが生じてしまうのである」。

 哲学教育に対する不要論は今に始まったことではない。さまざまな政体の国家がそれを狙っている。哲学教育は抽象的・普遍性を指向するが、具体的・個別的な国家権力はそれを攻撃、交渉と妥協に陥る。こうした哲学教育の状況、すなわち「ヘーゲルの時代」はいつでも起こりうる。しかし、その「手本」が失敗だったとしてなかったことにすれば、待ってましたとばかりにそれを反復させようとする勢力が台頭する。

 アヴィ改革は「ヘーゲルの時代」の一環である。それに対抗して哲学教育の擁護論を唱え、広く社会から納得を得られることは必ずしも容易ではない。次にデリダの哲学教育論を見てみよう。

3 デリダの哲学教育論
 ヘーゲル校長は近代という時代・社会にふさわしい新人文主義の教育改革に取り組んでいる。自由で自立した思考ができるようになるために哲学の学習を樹脂する。ところが、アヴィ改革は現代化を強調するものの、哲学の授業を削減しようとする。政治権力による哲学教育不要論は時代や社会の変化にそぐわないなどのもっともらしい理由により真の意図を覆い隠し、人々の直観に訴える。

 デリダは『哲学とその学級』において「投票をはじめる年齢でのリセにおいては、哲学の学級はある例外をのぞいて、例えば理論的近代性のテクスト、マルクス主義やとくに精神分析のテクストが読解と解釈とを生み出す理由を与えるなんらかの機会を持っている唯一の場ではないであろうか?」と言い、中等教育における哲学学習の必要性を説いている。自由で平等、自立した個人による投票行動が自由民主主義体制では統治を決定する。自分たちが生き、政治参加する近代社会について批判的思考ができなければ、権力が暴走しかねない。

 加えて、フランス政府が哲学教育を削減しようとする動機には固有の文脈がある。1968年8月、パリで学生が主導する民主放棄が起きる。この5月革命はモーリス・メルロ=ポンティの哲学に強く影響されたとされる。哲学教育が若者をこうした秩序破壊に向かわせたのではないかと政府は疑い、その削減を目論んでいると思える。

 デリダは、『ヘーゲルの時代』において、そうした思惑について次のように述べている。

 フランス国家が今日哲学を怖れているのは、この教育の拡張が、国家を変えようとし(その勢力は左派-の-ヘーゲルの時代に属すると言ってよい)国家の権力を目下支配している諸勢力から国家を引き離そうとしている勢力と、他方でもしくは同時代的に、先の諸勢力に同盟しているかそうでないにせよ、国家の破壊を目指す諸勢力と同じ程度に怖るべき二つの型の勢力を進展させるからなのだ。この二つの勢力は著しい分割にしたがって類別されるのではない。例えば、それらの勢力は「マルクス主義」と呼ばれるものの理論的且つ実践的な場の中に今日同居しているように、私には思われるのである。

 哲学を学ぶと体制転覆に走ってしまうのではないかと権力が危惧しているとデリダは指摘する。従前の支配階級にとって代わろうとする勢力を哲学教育は勢いづかせる。

 従前の哲学教育には教会を始めとする権力や権威の明示的・暗黙的問わず干の干渉が認められる。哲学教育のそうした姿は批判されなければならない。だが、デリダは哲学教育を権力から擁護するだけではない。反権力の言説にも説いている。

 哲学を学ぶと体制転覆に走ってしまうのではないかと権力が危惧しているとデリダは次のように指摘する。

 「私が強調するのは、人々が批判からまぬかれさせようとするまさにそのものを「教え込む」のは、つねに自然的なものを強調することによって、教育の内容あるいは諸形式を自然的なものにすることによってである、ということだ。(略)年齢を引き下げることと哲学教育を拡大することと要求することによって、次のことを理解させることができる(別にそういうことを望むわけではないが、反対者はそのことを理解させるのに努力するであろう)。すなわち、ひとたび諸々の偏見と諸々の「イデオロギー」とを消し去ってしまったなら、つねにすでに哲学する準備ができ、生来哲学することのできる「子供」というものをさらけだすことになるだろう、と。今日最も「秩序破壊的」と見なされている諸言説でさえも、決してこのような自然主義をまぬかれてはいないのである。それらの言説は、野生的な欲望へ、抑圧の単純な解除へ、束縛を解かれたエネルギーへ、もしくは一次過程へ何らか回帰することにつねに訴えているのである」。

 「制度」批判は往々にして「自然」を暗黙の前提にしている。制度を抑圧の装置であり、それを破壊することを主張する言説は、自然になんとかなるものだという楽観論を秘めている。「自然」は正しく、「制度」は間違っているという素朴な発想がそこにある。哲学はこうした暗黙の前提にも批判の目を向ける。だから、哲学教育は特定の学説やイデオロギーを習得することではない。政治権力同様に、その破壊の提唱にも批判的考察に臨む。

 デリダの脱構築もそうした批判的姿勢を持っている。彼は、『ポジシオン』において、脱構築を次のように説明している。

 哲学を「脱構築する」とは、哲学の諸概念の構造化された系譜学をそんなふうに最も忠実な、最も内的な仕方で、しかし同時にまた、哲学によって形容されえないような、名づけえないようなある外から出発して考えることであるでしょう。この歴史はあるものを包み隠し、ないしは禁止しえたのですが、そしてある個所で欲得ずくのそうした抑圧によってみずからを歴史たらしめたのですが、哲学を「脱構築する」とは、包隠され、禁止されえたそういうあるものを、それと規定することでしょう。

 ここで、デリダが言っている「ある外」とは、あらゆる立場を無効にする「ポジシオン」のことである。しかし、その「ある外」という「ポジシオン」がどこかに明示的に、あるいは具体的にあるわけではない。あると言ってしまえば、その立場は再び内部に閉じ込められてしまう。つまり、「ある外」とはエマニュエル・レヴィナスの言う「外部性」という存在のことである。「外部性」とは、システムに対して徹底的に内省し、不安定を起こし、体系に裂け目を入れ、外部に向かってその囲いを開こうとする試みそのもののことである。

 デリダの哲学教育は彼の哲学把握、ひいては脱構築と切り離せない。と言うのも、哲学者として自分自身が主張していることと哲学教師として自分自身が行っていることが分裂していては、デリダが『ヘーゲルの時代』において説明してきたことが本末転倒だからである。

4 哲学にとっての哲学教育
 その上で、デリダは『哲学とその学級』において既存の哲学教育をそのまま容認してはいない。哲学教育は哲学が人間の生活から離れてたんなる専門的な知になり、そのことで一種の権力性を帯びてしまうことへの抵抗の手段そのものである。擁護者が従来の哲学教育を守るだけに終始したり、政府と政治的駆け引きを行ったりすることに批判を向ける。よりよい哲学教育の作成に参加すべきであって、現場放棄などもってのほかだ。「新しい「教育制度の指導法則」による哲学の一掃に反対しようとするひとびとは、現行の哲学の制度の批判に、またこれらの新しい教授要項、これらの新しい内容、これらの新しい実践の仕上げに参加すべきであろう。さらに言えば、彼らは、教育の、とくに哲学の教育の内部と外部とにおけるもろもろの闘争を通じてのみ、そうすることができるのである。その様な変革の究極の賭け金(=争点)をけっして見失うことなく、彼らは、近い将来に、差し迫った逆行を挫折させようとし、別な諸条件でならば「第一学年」での哲学の義務は最初の積極的な成果をつくることができ、この哲学という学問がそれに先立つ段階課程全体から実際に排除されているがゆえに、哲学の義務は〈最終学年〉に維持されることを課すことができるであろうということを考慮しつつ最小の要求にかんして彼らと同盟しようとするあらゆるひとびととともに、正面から立ち向かうべきであろう」。

 哲学教育に携わる者が哲学することの実践を忘れてはいけない。よりよい哲学教育を目指すため、自身のありようを自明視してはならない。哲学教育は権力によって排除される危険性がつねにつきまとう。そうした批判に応えるためにも、自明視せず、再帰的に現代的議を自問しなければならない。それこそが哲学することである。そもそも哲学教育が政治的取引に貶められることはおよそ哲学的ではないだろう。

 デリダの哲学教育論は実際のフランス政治の文脈に基づいている。彼は、そこで、哲学教育というものの意味をどのように新しく捉えていくべきかを訴える。デリダは思想や認識制覇もはやどんな普遍性も根拠も持ち得ていないが、哲学の可能性それ自身が死んでしまったのか、あるいは別の形の思想が可能なのか、それはどういうものなのかということを突きつけている。哲学そのものにも哲学教育は必要であると同時に、デリダにとって哲学教育は哲学への脱構築そのものでもある。
〈了〉
参照文献
城塚登、『ヘーゲル』、講談社学術文庫、1997年
ジャック・デリダ、『ヘーゲルの時代』、白井健三郎訳、国文社、1984年
同、 『ポジシオン』、著,高橋允昭 訳、青土社、2000年


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