「不安」という自傷行為
こんにちは。今日は我々HSPの敵「不安」について話していきたいと思います。
不安はリスカと同じ
「不安になる」というのは誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。
突然意識がまだ起こっていない未来に向かい、今に集中できなくなり、焦りに駆られ、いつの間にかネガティブの海に沈み、そしてなぜかそういう時に限ってSNSをじっくり見てしまう。
そんな時間の無駄さえも時間の無駄と思えない精神状態、になったことがある人は、少なくないと思います。
私もこの不安感に悩まされ続けているのですが、ふと気づいたのです。
「不安は自傷行為なんじゃないか?」
YouTubeでメンタリストDaiGoさんのある動画を見かけました。
DaiGoさん曰く、「ああ言われてムカついたな」と会話が終わった後もネチネチ考えてしまうのは、自分をいじめているのと同じだ、とのこと。
その言葉に出会って、なんか、心が軽くなりました。
日々の生活の中で、嫌な人と話した後とか、交通マナー悪い人とか、気にしたってしょうがないことをいつまでも気にしてる自分に対して「あ、今自分のこといじめてるんだ」と気づけたら、そんなことしたらあかん!!と自制できるようになりました。笑
不安に関しても同様で、既に起こってしまったこと・今起こっていないことに対して考えることは正しく自分いじめ。
不安になることは悪ではありませんが、良い影響は全くありません。
「不安になる自分も受け入れよう」という考え方には一理あると思いますが、不安の考え癖がある方にはあんまり意味はないと思います。
「不安になったところで未来は変えられない」という現実をまず受け入れなければなりません。(なぜなら、現実を受け入れなければ本格的に精神を病むきっかけになるからです。)
不安を正当化していた
時間の無駄でしかない不安行為を、私は「成長の糧」ですらあると勘違いしていたのです。
どういうことかというと、
「ああ言われて嫌だったな」「何で嫌だったんだろう?」「何でも受け入れなければ」「また言われたらどうしよう?」「嫌われたらどうしよう?」「嫌われたら心が不安定になって、仕事でミスをするかもしれない」「不安定にならないように気をつけよう」
こんな怒涛の不安が押し寄せても、かつての私は心の中で感情の言語化をするだけで一歩進んだような気になっていました。
上記の一連の流れが「心の成長」に繋がると正当化し、勘違いしていたのです。
しかし、感情の言語化はあくまでも「自分自身の状態の観察」が目的であり、その次どうしたいかという目的が曖昧でした。
不安になりやすい状態の時は大抵「次からどうしたら良いのか?」を考え、実行する力が圧倒的に弱いです。
わかった気のまま現状維持パターンが多いと思います。
マインドセットだけで自分自身を変えられたら、世の中で活躍されている方々は苦労しませんよね。
起きた事実に対して自分の感情の乱れを感じ、次に行動を起こす(誰かに話す、メモに書き出して考えを整理する、運動や歌で解消するetc)ことが大切だと思います。
以下ストレスコーピングについてご説明されている「けいクリニック」さんのリンクです。
実際そのストレス解消というのが難題でもあるんですけどね。泣
ストレス解消については改めて記事を書きたいと考えています。
最後に
不安は身を滅ぼします。現実を受け入れることほど健全で確実な前進はありません。自分をいじめず現実を受け入れていきましょう。