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ドラマ「無能の鷹」を見て思うこと
見逃しで1話見てみようと思ったら、いつの間にか3話まで一気に見てしまった「無能の鷹」。
あまりにも非現実すぎるので、しんどいことは考えずに「異世界の物語」として楽しんでいる。
これがもし現実だったら…などと考えるのは、野暮である。
とは言え、ちょっと考えてしまったこと
やる気がない、嘘で誤魔化す、楽をしたくてやってはいけない手抜きをする、そんなタイプの人と一緒に仕事をすると、時間も労力もいくらあっても足りなくなる。
知らないことは、仕方がない。
知るきっかけだと思って、これから学べば良い。
間違えることは、仕方がない。
誰にだって間違いはあるし、同じことを繰り返さないように注意すれば良い。
問題は、知らなかったり間違えたことを「どうにかしよう」とすら思わないこと。
誤魔化そうとしたり、任されたことを誰かに押し付けて楽しようとするばかりでは成長しない。教える方にも、限界がある。カバーするには時間も労力もかかる。
相手にやる気があるのなら、それだけで面倒を見る側は救われるのだ。
(やる気だけではどうしようもない時もあるのが現実だけれども)
幸い、鷹野はやる気がないわけではないし、言われたことはやろうと頑張っているし、なんだか応援したくなってしまう。
現実にはあり得ないような展開になって万事解決してしまうのも、コメディの醍醐味である。
何より、鷹野を演じる菜々緒さんが、美しく格好良い。
「美しい姿勢」であることの、大切さ
ドラマだから、と言うのもあるけれど、鷹野は何をしていても美しく格好良く「見える」。
座り姿、立ち姿、歩き姿、人と話している時の堂々とした風格、菜々緒さんの役作りの徹底っぷりに思わずため息が漏れてしまう。
堂々としているだけで、デキる人=頼れそう、任せられそうな人、という印象を抱くというのは、現実世界でもある。
「背筋を伸ばしてハキハキとしゃべる」というのはプレゼンの基本ではあるが、それだって相手へ与える印象をより良くするためのものだ。
同期の鶸田くんの方が仕事ができるのに「できない人」に見えてしまう原因は、「できない人っぽく見えてしまう姿勢、視線、仕草をしているから」。
デキる風なのに中身が伴わなすぎるのもアレだけれど、堂々とした雰囲気というだけで相手に安心感も与えることができるのだから、多少のハッタリというのは誰にでも必要なのではないかな、と思う。
最近、金曜日の夜が楽しみ
現実に鷹野が部下だったら苦労するだろうなとは思う。
けれど、鷹野は嘘をつくわけでもないし、分からないことは分からないと言うし、嘘をついたりしているわけではない。ただ、仕事ができないだけなのだ(それが致命的なのだけれど)。
でも、本当に無能なのだろうか?
無能って、何を指して無能というのだろう?
どこを切り取っても、菜々緒さん演じる鷹野は本当に美しく格好良い。
自分自身も姿勢や歩き方、仕草など、普段から気をつけなければな、と思う。
最近、金曜日の夜が前よりちょっと楽しい。
考えたこと、その2。
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