中学生、私はカルト二世を自覚した。(3)”神の業”は治療か。
これはもう一つの私の話。(1)~はマガジンへ。
清浄化と体験談の話
私が幼いころから抱えていたアトピーも、「これはあなたの中の毒素を神様がきれいにしようとしてくださっているのよ。清浄化よ。」と母は毎度のように言っていた。
これは教団(〇教〇光)の考え方で、悪いこと(病気、災害など全て)の大半はこの世に成仏できずに残ったり、先祖やその人の前世に怨みつらみがある霊によるものであり、体に溜まった毒によるものもあるとしていた。
病気などは「お清め」によって、溜まってしまった毒素を溶かし、排出することができ、排出のために起こるものもあるとするものだ。これを清浄化という。
毒素の原因は霊によるものに加え、排気ガスなどの環境や食品添加物、ストレスなどとしていた。厄介なのはこのような点で、根拠のないものに科学的にも周知の事実を混同してくる。
教団の月刊誌には、後ろの方に必ず多くの体験談、感謝御礼のようなものがいくつも掲載されていた。国内外の信者の話。時折、同じ地区の人が掲載されると皆でよろこんだ。
よくあったと記憶しているのは、腫瘍が消えた、歩けるようになった、交通事故から九死に一生を得た、家庭・夫婦が円満になった、成績があがった…といったトピックス。
大体、医者や教員などが「こんなことは初めてだ」と驚き、確実に、業を行う前からの好転の兆しは記載されていなかった。
現代医療なめすぎ。と中学生で目が覚めはじめ、心が荒んだ時期から思っている。
後々調べてみると、教団(崇〇真〇)側は厳重にチェックを行っているらしい。そりゃそうか。
信者が信じる事象・奇跡の記録。自分の周りにもいつか…と思わせるためのいわば広報なのだから。
母ももちろん熟読していた。今もしている。
私も正式な信者となると同時に、少年部という教団の組織に所属し、課題としてや修練会と呼ばれる場でも読むことがあった。この部隊については後に述べようと思う。
「よかったね。」
どんなに掻きむしっても血まみれになっても、ワセリンやベビーパウダー、ベビーオイル、ニベアの青缶なんかを塗り、ガーゼを包帯用の紙テープでとめ、ネット包帯でしのいだ。
薬は使わせてもらえなかった。いや、厳密にいうと母の恐れがなした結果と言える。
兄弟の中で唯一のアトピー持ちの私が、幼い手で自分の皮膚を掻きむしり、肌は綺麗とはとても言えない凹凸をなし、血を流して苦しんでいる様。
アトピー経験が周囲にもなかった母にとって、ショックの大きいものだったと思う。
最初は熱心な信者である母でさえ、皮膚科に通わせた。
引っかかる方もいるかもしれないので補足すると、信者たちは総合的にみた100%の奇跡を信じている。
これは光の業が薬に替わる医療的な即効性や効能を持つものではなく、あくまで薬は一時的に症状を止めたり停滞させるものであって、同時に体に蓄積する毒でもあり、光は根本にあるものをよくしていくと考える人が一般的だ。
月に一度の大規模な集会でも、時折教団側の話として、光は療法ではない。ツールではない、といって解釈の統一を図っていた。
結果として、「体の清浄化=よいもの・光の業の成す事象」という方程式が出来上がり、「よかったね」と何か疾病や私のようなアトピーに悩まされている人に皆が言い出す(言おうというコミュニティ内の運動がおこる)始末だった。
え。こんなに苦しいのに?「よかったね」で済ますの?光の業がこの苦しみを与えているならいらなくない?
と思い始めたが、四肢や関節のみであったことや「もっと苦しい思いしないと出なかった悪いものが業によってでているのよ」と母や大人たちに再三言われ、小学生の私は言いくるめられていた。
これこそ根拠がないことの根拠なのでは。とも思う。解釈の統一化、もっと深い苦しみの代わりにこの程度で済んでいる…。これもまた洗脳の一つだ。
アトピーと宗教とステロイドの話
そんな中行った皮膚科で、私はステロイド剤を処方された。ステロイドは炎症・かゆみ・傷から私を一時的に開放した。母も安堵したことだろう。
嬉しかったことは、ゴムがすれて絶対に履けなかったキャラクターのついたパンツを履けるようになったことだった。それまではゴムの部分まで布で包まれた「お子様用」をそのまま形にしたような下着で、それが少し恥ずかしかったから。
私にとってそんなささいな喜びも、長くは続かなかった。
ステロイドの副作用で、薬を塗付した部分の肌が黒く色素沈着をした。母はこれを大いに嫌がった。
記憶にないが「肌黒くなってる…」とでも私が言ったり、患部を見てこれが一生残るのか。と思っただろう。
薬に頼っても色素が残る→薬が無ければまた苦しむ→薬を使うと”毒素”は抜けるまで遅くなる→毒素が抜けるまでアトピーは続く→薬は毒→毒を出すのに毒を付加するのか。
と母の思考が行き詰まったのだろう。ある日皮膚科に行かなくなった。
母は、耐えることを選んだ。耐えるのは私だった。
「薬で一旦落ち着かせようね」が「今は悪いものを体が出そうとしているのだから頑張ろうね」に変わった。
私は苦しかった。が、この世に生きるのは修行目的だという教団の教えが染みついていたから、今は耐える修行だ。自分だから神さまは私に試練を与えているのだ。と強制的に思考を変えた。
アトピーの根本的な原因は体質起点からストレスへと変化を遂げていたことに、小学生の私はまだ気づいていなかった。