三國志2(赤壁の戦い)
三国志の正史ではなく三国志演義に基づいて書くので多少のフィクションは悪しからず。
軽く前提からお話しようかと。
三国とは、魏・呉・蜀
間違っていることもあるのでぬるっと聞いてもらえれば。
まず三国とは、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国です。魏のリーダーは、名家生まれの曹操(そうそう)、呉は孫家の若き棟梁・孫権(そんけん)、蜀は、わらじ売りの家の出ながら、漢の王家の末裔・劉備(りゅうび)。
ただ、赤壁の戦いのころはまだ三国とも建国はされていません。
魏とは日本史に出てきた、魏志倭人伝の魏です。つまり、西暦300年ごろ、いまから1700年前の書物です。日本では弥生時代かな。
そのころに、お隣の大陸では、10万人単位での戦が勃発していました。
有名どころでいうと、
泣いて馬謖(ばしょく)を切る
ということわざは、蜀の名軍師・諸葛亮孔明(しょかつりょう こうめい)が軍律を守り、泣く泣く愛弟子・馬謖を処刑したことが由来とされ、
規律を保つために、たとえ愛するものであっても、違反者は厳しく処分する(wikipedia)
ことのたとえです。
やばい、前提で3日くらいかかりそう(笑)
また明日です!