暮しの手帖と祖母
ある時探し物をしていて、実家から持ち帰った段ボールを開けると、小さい時によく見ていた藤城清治の影絵の絵本を見つけた。探し物そっちのけで、その絵本を何十年ぶりに開き、懐かしい気持ちになっていた。
懐かしさのあまり、母に電話をした。
母:「懐かしいね〜。藤城さんのお話は、暮しの手帖に昔、載っていたのよ。あなたのおばあちゃんは暮しの手帖が好きで、家にあったのよ。」
だいぶ前に他界してしまった祖母は、昭和2年(1927年)生まれ、孫の私達姉妹にミシンでよくワンピースやおかばんを作ってくれた。東京で生まれ育ち、和服がよく似合う小柄で控えめな祖母だった。祖母独特の言い回しがあって、しょうゆのことを「むらさき」と言ったり、レンジでチンすることを「エレックする」と言っていた。^^
祖母は、暮しの手帖を愛読していたんだ。
祖母が見ていた頃の暮しの手帖、見てみたいな。と思い立ち、地元の図書館の検索サイトで、暮しの手帖第一号を検索する。
なんと、貸し出し可能!
暮しの手帖第一号は終戦から3年後の1948年に創刊された。その頃、祖母は21歳、8歳上の祖父と結婚してすぐの時だ。
美しい暮しの手帖 第一号
まず表紙の絵に心を奪われた。なんて素敵な表紙。
描いたのは、編集長である花森安治。
暮しの手帖社を立ち上げた中心人物は、大橋鎮子(社長兼ライター)と花森安治(編集長兼ライター)。この二人は、肩書きを超えデザイナーとしてもモデルとしても雑誌のあらゆるところに登場する。
終戦から3年後、まだ世の中は、モノのない時代であっただろうと、思いながら年季の入った第一号を少し緊張しながら開いてみる。
この中のどれか一つ二つは
すぐ今日あなたの暮しの役に立ち
せめてどれかもう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて心の奥ふかく沈んで
いつかあなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうなこれはあなたの暮しの手帖です。
花森安治による暮しの手帖宣言にぐっと心を掴まれる。
雑誌の前半は、着物やかすりを「直線裁ち」で画期的にリメイクする方法や、「自分で作れるアクセサリー」など、あるものを工夫しておしゃれを楽しもうという提案をしてくれる。
「お母さまが作ってやれるおもちゃページ」では、かわいらしい犬のぬいぐるみの写真と、次のページには型紙が描かれている。
コラムのページでは、大橋鎮子自身がさらに「直線裁ち」について丁寧に説明してくれる。
直線裁ちは、花森安治がデザインした簡単で実用的な服であり、何より和服とは違った「イキさ」がある。
花森安治も「服飾の読本」というコラムで、おしゃれの基本について教えてくれる。
流行を取り入れる前に、日本人の体型を知ることが大事であり、日本人の体型に合った美しく見えるスカートの長さを知りましょう。一番良い長さは、畳に座ってスカートの裾が緩やかにたたみの上に垂れ、膝を隠してくれる程度が丁度いい。
花森安治は、色の組み合わせ方や靴のメンテナンスの方法についても丁寧に書いている。
たくさんのコラムが掲載されている中で、祖母が好きだったデザイナー、中原淳一のコラムや川端康成のミニ小説も見つけた。
そして「暮しの手帖第1号」の最後のあとがき:
はげしい風のふく日に、その風のふく方へ、一心に息をつめて歩いてゆくような、お互いに、生きてゆくのが命がけの明け暮れが続いています。
せめて、その日々に小さな、かすかな灯を灯すことができたら、、、
この本を作っていて、考えるのは、そのことでございました。
「S」(おそらくしず子のS)
戦争を経て、「暮しの手帖」という雑誌で世の中を変えたい、暮らしを良くしたい、世の人々に寄り添いながら、という大橋鎮子と花森安治の想いのこもった「暮しの手帖」だということが伝わってきた。
のちに大橋鎮子の自伝を読んだ際、彼女は
「毎日の暮らしに役に立ち、暮らしが明るく、楽しくなるものを、ていねいに」をモットーに雑誌が始まったと言っている。
読者は、この雑誌を開いて実際に元気付けられ、日々の暮しが明るくなったのかもしれない。
私の祖母もきっとその読者の一人であったのだと思うと、私自身も温かい気持ちになった。
祖母は、暮しの手帖からモノづくりへのインスピレーションをもらっていたのかもしれない。
ふと久しぶりに手に取った藤城清治の絵本をきっかけに、母方の祖母のことを想う、私にとってはとても良い時間となった。
そして、祖母のように私も「暮しの手帖」が好きになっていた。