坂口琳吾

思つた事を書いて居ります

坂口琳吾

思つた事を書いて居ります

最近の記事

気持ち

人の気持ちなんて頼りないもの。 どうしてあなたには「裏切りません」なんて誓えるんだろうか。 どうせ頼りないもののはずなのに、その時だけは固い、永遠の意思のような形でもって相手に押し付ける。鬱陶しいだろうに。ぜんぶ自分のためなんだろう。結局「自分のため」からは逃れられない。 そのことに目を瞑って生きている。今日も「好きだ」と嘯く。頼りない気持ちを頼りにして。 それでもだって、だってそれでも、その時は真実だったんだから。おれは真実、心から思ってたんだから。 誰にも分からなければ、

    • あなた

      あなたは私に捨てられたと言って遠くへ行った あなたとの間には、もう過去が残っているだけ 今目の前にいる人との間には、過去も今も未来もある これから作っていける あなたを捨てた人として、ほかの誰かを愛する資格があるだろうか 資格が無いからといって、自分を好いてくれる人を拒んでいいのか 自分で、自分をどうしようもないと分かっているから、他の誰かにだけは、受け容れて欲しいんだろう 自分は弱い。弱くていいとも思えない。ただ、強くなれるとも思えない。 情けねえと思いなが

      • ひねもす

        海雲は魚を運んで唸り 風雲が青く胸を透かす 山林も同じく霞を払い 翠の腕に陽を抱き込む

        • 価値観とは

          価値観というものは、やり取りするものでなし、まいて押し付けるものではない。 それは、疑って初めて仕上がるものであると思う。 植え付けられたまま疑ってもみずに抱えているようなものは、ただの呪いに過ぎないのはあるまいか。

          虐説

          きみ、男を慰めるものは何だと思うかい それはね、酒と音楽と友だよ 女の子はだめだ なぜってね、女の子は慰める力がありすぎてしまう 自分で立たなくっちゃぁ駄目なんだよ、自分を男だって思いすぎる男はね 慰みにもならないものでなきゃだめなんだよ

          なんか、頑張る詩

          腐らじと張せば、梁、将に破れんとす 破れじと動かざれば、根、やおら腐らんとす なんぞ張せず、なんぞ動かざる、病みぬるかな精神

          なんか、頑張る詩

          笑いについて

           お笑いモンスター明石家さんまさんは「笑いは緊張と緩和だ」といわれた。  ここで、私自身がお笑いについて考えたことを書いておきたい。  私は、笑いのキッカケのひとつに「潜在的な共通認識の突然の表面化」というものがあると思う。 それも、認識しているようでしていないような微妙な認識の表面化だ。  Twitterなどで見られる「〇〇に親殺されたんか?」という語句も、私のいうキッカケに分類される。 「このひと、やけに〇〇に対して恨みを持っているな」という、常々頭にあるものでもなく

          笑いについて

          矛盾の宇宙

          自分が自分として生きていくことの、なんと不幸なことか。皆が右側を歩く中、ひとり逆であることのなんと心許ないことか。 もはや遺伝子がそれを恐るるがごとく、私を慄かしむる恐怖! 孤独!背は冷え、耳は熱くなり、筋肉は、内臓はギユッと収縮し、石のようである。そして粘ついた汗が出る。 それだというのに、なんたること!私は人と同じである事を何より嫌っているではないか! どこまでも我儘な俺よ。エゴよ。馬鹿め!お前はなんと浅ましいやつだ! ああ染まりたい。人と同じでいたい。ああ嫌だ、

          矛盾の宇宙

          踊り子

           道化を演じるのは、嗤われるのを恐れるが為なのです。知らぬところで嗤われるより、構えて迎えることを選ぶのです。  それは自己欺瞞という薄氷を舞台とする如かるも、家畜に紛れて瓦と列するよりは、ずっとずっと好いのです。

          犬が盗まれたそうだ。 それで心を痛める人がいるらしい。 「犬の気持ちを考えるべきだ」と。 なるほど犬の気持ちは考えた方がよかろう。 しかし犬としては、全然関係ないあんたらに同情されても腹は膨れない、とでも思うんではなかろうか。 もっとも、私は犬ではないので、彼の気持ちは分からない。 一体人間のくせに、増してや飼い主でもないのに、どうして他所の犬の気持ちが分かるかのような言い方をするのだろうか知らん。 翻って、人の気持ちということについてほんの少し考えてみたい。 いっ

          無題

          僕は、今の自分がいっとう好きだ。今が精神的に最も成長してゐる時点だからだ。 過去が恐い。付け加えれば過去の未熟さが恐い。共感性に欠けてゐた頃が。人を傷つけていることに無自覚だつた頃が恐ろしい(かう言ふと、あたかも現在の成熟しきつている事を強調するかのやうだが、言はずもがなそんな事はない)。 現在も、幼い頃の経験を思い出しては身悶える。恥の多い人生を送つてきたものだ。ついでに漫画のセリフを引用すれば、「恐怖とは過去からやつてくる」。僕の場合とは文脈を異にするけれども、妙にし

          ふたとせ

           地方官吏となりて早や二年過ぎけり。  書生の身にありしは、世に出ではいかばかりか愉しきことあらんと慕ふ心地しけるが、何の事は無し。徒に二歳をぞ過ぐしにけり。  世の人、人の行いをもあれとこれと論うなり。などはかく。何故に己が賢しき正しきを、人にて。  二歳を過ぎて我の世に学ぶこと、人を見ず、人を論わず、この二つばかりなり。  もとより、この二つばかりなるを他の所為にはせむずるなり。嗚呼、この年の、ややも明るくならんことを。