古民家で暮らそう!⑩「家と生活」について思うこと
「田舎に引っ越しをする」とか「古民家に住む」という話をすると、自給自足の生活を目指していると思われることが多いのですが、僕自身は自給自足にはあまり興味が無いというのが正直なところです。敷地が180坪ほどあるので、少しぐらいは野菜やハーブを育てると思いますが、たぶん本格的な畑はやらないと思います。
しかし、定年退職をした方や一部の若い世代の方たちが田舎暮らしを選択して、自給自足の生活に憧れるのはいったい何故でしょう?基本的には、今の社会の中では完全な自給自足というのはほぼ不可能ではないかと思うのですが、そうしたライフスタイルに重きを置く生活がしたいという気持ちは理解出来るような気がします。
それを考え始めると、そもそも「人間は何のために生きているのでしょう?」という根源的な疑問にぶつかります。
多くの大人は、「仕事」のために生活のかなりの時間を費やしていますし、「仕事のため」だったら家庭生活を犠牲にしたり、友達との約束を反故にしたりしても、「仕事だから仕方がない」という言い訳が成り立つほど重要な位置を占めています。
では、「なぜ仕事をするのでしょう?」。その答えは人それぞれ違ってくるでしょうけど、それは社会への貢献であったり、自分のやりがいや成長のためである場合もありますが、多くは収入を得るための手段である場合が多いのではないでしょうか。自分の仕事が「収入=やりがい=自己成長=社会貢献」である場合はとても幸せなことですが、そうでない場合でも、やはり収入のために働くことをやめる訳にいかないのが現実です。
現代社会の中で生きていくには、お金が必要なのは言うまでもありません。自給自足で野菜を作ることはできるかもしれませんが、どんなに頑張ってもネット回線を使用することを自前でまかなうことはできません。
それならば、ネットを使用しなければ良いという選択肢もあります。それはそれでOKでしょう。同様に、車を維持するにもお金はかかりますし、維持するための税金もかかります。それなら車はいらないというのもOKでしょう。
ただ、僕の場合は、仕事上パソコンやネット回線は必ず必要なものだし、イベントなどで大きな荷物を運んだり、ちょっと辺鄙な場所に行かなければいけないことも多いので車も必要です。妻の通院にも車は必要ですし、治療費もかかります。
それに、やっぱりたまには旅行にも行きたいし、美味しいものも食べたいし、本も読みたい、映画も観たい…などなど。お金があると生活が楽しくなることもたくさんあるので、食べていくのにギリギリの生活以上の収入を得るために、世の皆さんは頑張って働いている訳です。
しかし、人間が生活をして行く中でお金によって得ることができるものと、お金によって得ることができてしまうが故に、失いつつあるものがあきらかにあるような気がしています。
例えば外食。僕はあまり外食をしないのですが、お金を払えばある程度の料理を食べることができますしお腹もいっぱいになります。
ただ、それによって家庭でご飯を食べるということが失われていくと同時に、ハンバーグやキンピラゴボウの作り方を知らないとか、魚のさばき方が分からないという人がかなり多くいます。生きるために不可欠な「食べる」という人間の基本的なところが、お金で代替がきくことによって自分でまかなう力が失われつつあるように思います。
また、お金を払って交通機関を利用することによって、目的地まで「早く着く」という目的だけが達成されるようになりました。東京~大阪間の新幹線を利用すれば日帰りも可能です。
でも、「東京に行って来た」といっても、たぶん東京を感じることも、東京までの道程を感じることもできず、ただピンポイントに到着して戻って来ただけに過ぎません。本来なら、てくてく歩いて1ヶ月ぐらいかかって東京(江戸)まで行って、せっかく行くから途中の静岡で富士山麓に1週間滞在して、ついでに足を伸ばして千葉の友人を訪問し、そしてまた歩いて帰って来る。
そうすると、東京に行くのは2、3ヶ月ぐらいの大イベントということになり、日帰りで東京に行って帰って来るよりも、ずっと重みのある訪問になることでしょう。
世の中は「早く」「軽く」「薄く」どんどん技術が進歩していますので、その恩恵は受けたいものです。我が家のMacBook Airは薄くて軽いので、今更デカくて重いノートパソコンに戻るのは嫌ですし、今の半分の軽さになってくれたらなお嬉しい。人間はなんとも我が儘で、贅沢を言い始めるときりがありません。
ただ、どこからどこまでの部分が自分が生きていくためにやらなければいけない大切なことであるのか、ということは見失わないようにしたいと願っています。
何かに追い立てられて、たくさん仕事をこなすために食事をハンバーガーで済ませ、時間を効率的に使うためにより早い乗り物で移動して予定だけこなして帰って来たり、自分の好きな人たちとゆっくりお話をしたり会うことすらできないほど忙しかったりすると、いったい何のために生きて生活をしているのか分からなくなってきます。
どんなに有能な人でも10人分の仕事をひとりでこなすことはできないですし、10人分仕事をこなす人よりも11人分仕事をする人の方が価値があるのかと言われると、何だかそういう問題でもないような気がします。
なので、僕は自分ひとり分の仕事で、自分にしかできない時間の使い方をしながら生活ができればいいなと思っています。内臓やウロコを取ってあって、すでに煮てある魚を買ってくれば楽だし時間の短縮にもなるのでしょうけど、そこはやはり自分の手で時間をかけたいと思っている部分です。
同様に、リフォームの業者に頼んで全部きれいにしてもらうために、一生懸命お金を稼いで業者に依頼をするというのもひとつの方法かもしれませんが(どう考えてもできない部分は依頼しますけど)、自分が住む家は自分の手で直したいのでそれにも時間をかけたいと思っています。