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立派な仕事をしたいというエゴが私にはあった


今日も良い1日だね。

こんにちは。
さとるだよ。


前回の記事では生業を手放すことを決意した時の悩みや心の状態を書いた。まだ読んでいないならぜひ読んでみてほしい。



自分のプライドや世間体などの問題をどう超えていったか?を今回は少し書いてみるよ。


結論から言えば私のこれまでの仕事の選択の基準はひとことで言えば「立派な仕事をしたい」だった事に気づいたんだ。


まぁ、立派な仕事と言っても抽象的だけどね。心のどこかに「この仕事をしたら立派だなぁ」というエゴというか不純物が混じっていた。


もちろん、100%の純度で仕事をしている人はそう多くないかもね。誰しもどこかで折り合いをつけながら生きているはず。


「立派な仕事」という価値観ははこれまでの私の仕事の選択を色眼鏡で見させていたように思う。


もちろん、その時、その時では自分の判断を信じて行動していたから後悔はない。


でも、なぜか足を引っ張られるかのように上手くいかない仕事が多かったと思う。多分、神様が「その方向は違うよ」と言ってくれていたんだろう。


「立派な仕事をしたい」という色眼鏡のために私は気付けなかった。


今回、なぜそれに気づけたのか?それは一冊の本との出会いがあったからさ。もうずっと前に読んで内容はすっかり忘れていた。


それは斎藤一人さんの「変な人が書いた人生の哲学」という本。


この中にある「立派な人より幸せな人になろう」という言葉が今の私の心を鷲掴みにしたよ。まさしく、私のためにある本だと感じた。


誰しも、それまで生きてきた中で様々な影響や、価値観やバイアスが思考と行動に関与している。


私はその中でも大きな「立派な人」や「立派な仕事」をしようというバイアスがあることを理解できた。


仕事に立派とか立派じゃないなんて区別は本来ないよ。でも私は勝手に区別してきた。時間をかけて今、やっと気づけたんだ。


遅いとは思わない。これも人生。そして今、私は前回書いたように「誰にでも替えがきく」仕事を今はしている。



おかげで今、たくさんの事を感じ、経験している。これがどこに向いているかは分からない。


でも、「これでいいんだ。幸せな人になるには今、幸せでなきゃ」といつも感じている。


だから、本心から仕事にワクワクしているし楽しんでいる。まるで呪縛が解けたように。


仕事や、人生が苦しいと感じている人は多い。私の今回の経験から言えるのは「手放すこと」がスタートだということ。


手羽なさなきゃ、心も身体もいつも重りをつけたまま。これじゃ正常に考え、行動するなんて無理だよ。


私みたいに生業を手放すのは極端かもしれない。でも私はそれが出来たから今、リスタートできた。毎日ストレスゼロでワクワクしている。


もしも、仕事や人生が苦しいけど、どうしていいか分からない人は少しづつ手放してみて。


分からなかったらいつでも話しを聞くから声をかけてほしい。一緒に考えてみよう。


最後まで読んでくれてありがとう。また明日♪



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