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大河の一滴:金沢文芸館・五木寛之文庫
「人はみな大河の一滴」
五木寛之(いつき・ひろゆき、1932年~)…小説家。旧姓は、松延(まつのぶ)。
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画像は、石川県金沢市にある金沢文芸館。2階に五木寛之文庫があり、五木寛之の愛用品や記念品などの展示も。
五木寛之は福岡県八女市の生まれで、間もなく朝鮮半島に渡る。第二次世界大戦後に引き揚げて再び福岡で生活をする。地元の中学、高校を卒業して、早稲田大学第一文学部露文科に入学、後に抹籍・中退。
学生時代に石川県金沢市出身の妻・岡玲子(おか・れいこ、1934年~)と出会う。結婚の際に岡家の親類で跡継ぎのいなかった五木姓を名乗るようになる。
以上が、五木寛之と石川県金沢市のつながり、そして五木姓の由来。実際に、1965年~1970年頃には夫婦で石川県金沢市に住んでもいた。
五木寛之を知るきっかけになったのは、ハードボイルド小説が有名な白川道(しらかわ・とおる、1945年~2015年)。一時期、ハードボイルド小説にハマっていて、その流れで白川道の作品に関心を持って、かなり読み漁っていた。確か『病葉流れて』シリーズに関する後書きか、何かの記述で、次のようなことが書かれていたと思う。
白川道は学生時代は太宰治(だざい・おさむ、1909年~1948年)が好きであり、読書をしていたが卒業後にはあまり本を読まなくなっていたとか。ただそれでも読み進めたシリーズがあったという。阿佐田哲也(あさだ・てつや、1929年~1989年)の『麻雀放浪記』、そして五木寛之の『青春の門』である。
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