noteを100日連続投稿して思うこと(教職大学院100日経過)
こんばんは、"もっちゃん”です。
記事に興味を持ってくださり、ありがとうございます。
昨日の投稿で、noteを始めて100日連続で投稿したことになります。
特に100日連続を目指して投稿していたわけではありませんが、少し効力感があります。
同時に教職大学院に入学して100日が経過したことになります。
特に100日が何の節目になるわけでもありませんが、なんとなくキリの良い数字ということで、少し思ったことを記録しておこうと思います。
◯note継続の効用
気づけば100日経過していました。
noteの投稿に関しては、【読書のキロク】【論文備忘録】【勝手に映画感想】【その他】がメインになっていると思います。
当初から継続が目的ではないnoteではありましたが、継続していくことで
「せっかくだから今日もやろう」
的な意識が芽生えてきてしまっていることが少し残念です。
投稿することが目的になってしまいかねない、ということです。
本来そこは目的ではないはず。
自分の頭の整理に使いたい、というのが正直なところです。
ただ、その意識が芽生えてきたことによって、
・意識的に読書や論文レビューを行おうとする
・インプットの際にアウトプットを想定して行おうとする
・アウトプットしまくることで、アウトプットへの抵抗感が薄れてくる
といった効用もあるように思います。
自分のインプットに際して大きな効果があるのは間違いないように思います。
◯noteへの投稿で気をつけたいこと
今後もnoteへの投稿は続けてはいきたいとは思うのですが、
・投稿が目的となること
・投稿することが自分の足枷となること
・投稿する内容のクオリティが下がること
(現在でも高クオリティなわけではありませんが)
ここら辺は避けたい、意識したいことではあります。
あくまでクリエイターであるという、noteの本来の目的は忘れずにいきたいと思います。
内容としては特に縛っているわけではありません。今後多岐にわたる内容を投稿するとは思いますが、自分の中では【読書のキロク】と【論文備忘録】がメインです。
あくまで教職大学院時の学びを記録していきたいと思います。
ただ、興味があっちこっちにいってしまう性分ではありますので…ご容赦いただければと思います。
◯見ていただけるのはうれしい!
注意しておきたいのが、あくまで自分の記録用ではありますので、
noteに投稿している方々のように
「ビュー数を増やしたい」とか
「フォロワー数を増やしたい」とか
そのあたりはあまり自分は目指していません。
ただ、見てくださった方がいるというのは、自分の投稿に際しての緊張感にもなるし、何より効力感につながります。
見ていただけているという安心感は、子どもも大人も変わらないものなのかもしれない、なんてことを思います。
自分もそんな思いを与えられる人になりたいです。
◯他の方のnoteチェックについて
noteって投稿するだけでなく、他の方のnoteを気軽にみることができるというのはとても大きなことだと思います。
教育に関して記事を投稿している方も多く、見ているだけでも
「noteを始めてよかったな」
と思うことが多々あります。
投稿してくださるのを楽しみにしている方も多数います。
投稿お待ちしています。
いいなと思ったら「スキ」します。
(この辺の作法はいまだ学び中です。)
◯教職大学院100日経過
これこそ本当に100日経過したところで何もありません。
ただ、2年間の教職大学院生活730日のほぼ1/7が終わったという意識ではあります。
自分のnote投稿記録を見たときに、
・70冊以上の書籍(Audibleや小説を含む)
・多数の論文備忘録
が目安としてわかりやすいのは良いなと思いました。
それなりにインプットできているような感じがします。
今後、インプットばかりではなく、研究を組み立てていくことも求められます。というか、すでに求められています。
自分の研究経過に関してはnoteで公開することはなかなか難しいのかとは思いますが、なんとなく【読書のキロク】や【論文備忘録】から方向性は察することができるのではないかと思います。
順調に進んでいると思いたい。
◯今後の方向性について
noteに関しては、今後は投稿の頻度が間違いなく減ると思います。
時間的な縛りも多く、自分のインプットに割く時間が減ってしまうことが予想されるからです。
むしろ投稿が続いているということは、未だ研究の方向性が定まらず、インプットしまくって迷走しているような状態だと思われます。
そのように探索的に「問い」を探す状態は自分は好きだし必要だと思うのですが、どうしても時間的な制約は避けられません。
うまい具合にシフトしていけると良いと思っています。
ちなみに、研究に関しては、「問い」を探している状態ではないですが、「問い」が定まりきっていない状態とも思います。
子どもたちの探究的な学習でもありがちな状態かと思います。
こうしたときに、子どもたちをどうサポートできるのか、ということを考えつつ、「自分をどうサポートできるのか」ということも合わせて考えていきたいです。
なお、今は「問い」の大元となる思想に興味が出ているところです。
教育哲学とも言えるところでしょうか。
それを追い始めて迷走しているところです。
終着駅が見えません。
ということを考えた1日でした。
もはや日記のようで記事として良いのかも微妙なところですが、
記録として考えたことを記述しました。
読んでくださった方、ありがとうございます。
自己紹介はこちらから。