探究は身近に【ほっと一息】
こんばんは、"もっちゃん"です。
記事に興味を持ってくださり、ありがとうございます。
私は探究的な学びに興味があります。
子どもたちが自分たちで考えて、興味を持ったことを追求していくような。
それもあってか、今は
子どもたちがどんなことに興味を持つのか
ということを考えています。
◯割り箸をキレイに割るコツ
本日、こんな記事を見かけました。
みなさん、割り箸を割るのは得意でしょうか。
私は苦手です。
むしろ、変に割れた時の方に面白味を見出しているような気もします。
この記事では、割り箸をキレイに割るコツについて解説しています。
比較的どうでもいいことだと思います!
でも、そのどうでもいいことを追求しているところが面白いと思います。
私にとっては本当にどうでもいいことですが、
誰かにとってはツボにハマることだと思います。
探究って、そういうもんなんじゃないかと。そんな気がしました。
◯自分にとっては面白い、というのが大事?
わりと研究とか、探究活動全般に当てはまることではないかと思います。
自分にとって面白い
と思えることを考えていくことに意味があるように思います。
それが他の人にとってはどうでもいいことだとしても。
それこそが探究だと思います。
そう考えると、
探究活動はとても独善的なものだし、
自己満足的な感じもするし、
他者にとっては無益な感じもします。
でも、それでいいのかなぁと。
例えば、
「これは、他の人にウケるかなぁ」
を意識してなされた探究活動って、あんまり探究的な感じがしません。
見る側にとっても、
探究している人が面白く感じているか
というのが大事な気がします。
個人的にはそういう方が見ていて楽しいです。
◯自分の感じ方を鍛えたい
なにげに、そこで大事だと感じたのは、
「自分の感じ方を鍛えること」
です。
例えば、私はこれまで割り箸の割り方に興味を持って探究したことはありませんでした。
人生で何百回も割り箸を割ってきているにも関わらず。
今回、上で取り上げたような記事を見てみると、
なんてもったいないことをしてきたのか
と、少し後悔します。
こう見たらただの割り箸を割ることが、面白く見られたのに!
なんてことを思います。
そこで考えたいのは、
どうしたら、これまでどうでもいいと思っていたことに着眼できるのか
ということです。
意識づけの問題かもしれませんが、なんとなくそれだけではないような気もします。
◯物事との出会いの捉え直し
前回、こんな記事を書きました。
理科において「問い」には、生成していくプロセスがあります。
ここには科学的探究可能性を検討するなど、若干スキル的なものも含まれます。
「問い」の生成は、探究活動においてとても重要だと思うのですが、
その中でも、
何かに気づくこと、疑問に思うこと
は大事だと思います。
同じものを見ても、何かに気づける人と気づけない人がいます。
自分の中で、最近気づける人は、
その物事との出会いの解釈を丁寧に行っている気がします。
自分がその物事を見てどう考えたか
どういう気持ちになったか
なぜそう感じたのか
などを丁寧に捉え直しているように思います。
最近、探究活動に際して子どもたちにインタビューしたりもしていますが、
大人も子どもも同様な感じがします。
それができるようになることが、
身の回りのいろいろなことを探究的に捉えられるようになることのように思います。
◯学校での探究のトレーニング
学校教育で探究をやろうとすることが多々あると思います。
そのときに学校でやることって、なんでしょうか。
そのまま自由に探究的に活動させる、というのも一つの手かもしれません。
けっこう実践例もあります。
その中で、「探究のやり方」みたいなのを学んでいくことも多いと思います。
理科の教科の中とかで見てみると、大きな探究活動の一部を取り出し、
その手法について学んでいる気もします。
一方で、
上で挙げたような「自分との関わりの捉え直し」のようなことって、そこまでやっていなかったように思います。
あるいは、身のまわりのものをどのように捉えるのか、といったトレーニング的なもの。
これらは練習で鍛えられそうな感じもするものの、あんまり練習してきませんでした。
そんなところまで含めて、学校では扱っていくと良いのかなぁ、なんてことを思いました。
そんなことを考えました!
少し話が飛躍してしまったかもしれません。
でも、そう考えてみるのも、探究なのかもしれません。
難しいですね!
自己紹介はこちらから。