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【自分的保存版】私のリフレクション:『先生たちのリフレクション』を読んで※私の考えを多分に含みます【読書のキロク】

こんばんは、"もっちゃん”です。
記事に興味を持ってくださり、ありがとうございます。

以前から、教職大学院にいると「リフレクション」という言葉をよく耳にします。

「リフレクション」に関しては、以前から何度か記事にしてきているところです。

今回も「リフレクション」がタイトルに入った本になります。

◯今回読んだ本:『先生たちのリフレクション』 著者:千々布敏弥 教育開発研究所

教職大学院の先輩にご紹介いただいた本です。

また、教職大学院の先輩に企画していただいた“読書会”(以前の記事参照)にて読み進め、紹介した本でもあります。

教職大学院の先輩方に、おんぶに抱っこの生活をしております。
でも、そのおかげで、効率よくインプット、アウトプットをしながら、教員としての見方を整えることができているようにも思います。

◯概要

アクティブ・ラーニングの「モヤモヤ」ぜんぶ解決。
主体的・対話的で深い学びって何?
理論が乱立しているから整理して!
マニュアルがあれば実現できるの?
結局どうすれば授業が変わるんだ!
じっくり、比較して、未来志向で、リアルな姿から……
辿りついた唯一の戦略が「リフレクション」
「(担当談)千々布先生、ここまで書いていいんですか(汗)」
「主体的・対話的で深い学び」を実現する教師、そして学校、教育委員会は何をしているか?
国の研究者として全国の実践、世界の研究をみてきた著者が示す、授業改善の羅針盤!
※本書の内容はハウツーではありません

――授業をつくるのは先生たち、
なら自分と、自分たちと存分に語り合おう。

上記ホームページ本書の概要より引用

『先生たちのリフレクション』の名の通り、先生たちがリフレクションを通して、どのように実践を見つめ直していくか、ということについて書かれた本です。

◯いまや"懐かしい”?アクティブラーニング

「アクティブラーニング」という言葉が一時期学校界隈では非常に流行したように思います。

私が教員になったばかりの頃でしょうか。学習指導要領の改訂に伴い、かなりその言葉ばかりが一人歩きしてしまった時期があったように感じています。

流行し過ぎたが故に、曖昧な理解からその方法論への偏りが批判的に取り上げられることもしばしばあったように思います。

本書の概要のにも示してあるとおり、本書では「アクティブラーニング」という言葉について、その位置付けからわかりやすく語っているところがあります。

全てをここで書くわけにはいかないので、自分の理解に役立ったポイントだけ、少し記述していきたいと思います。

・「アクティブラーニング」は学習概念である、ということ。
・アクティブラーニング型授業とは異なるものである。
・講義形式の授業でもアクティブ(能動的)になっているものもある。

このあたりでしょうか。「アクティブラーニング」という言葉は学習概念である、という言葉が、多くの人にとってはしっくりくるものと思います。

これはあくまで著者自身の言葉ではなく、溝上慎一氏の著書から引用を交えて説明している部分でもありますが、その理念を表すもの、学習の捉え方として非常に有用なものであると思います。

そんな感じで、アクティブラーニングの変遷についてわかりやすくまとめられていました。

◯「主体的・対話的で深い学び」

それを受けながら、「主体的・対話的で深い学び」に関してもかなりの解説が加えられています。

読んでいて、まだまだ私自身の理解が足りていないなぁと思うところがありました。こちらも印象的だったところだけ、書き記しておきたいと思います。

なぜ「主体的・対話的“で”深い学び」なのかということ。
なぜ「主体的・対話的“な”深い学び」ではないのか、ということ。

個人的には私も疑問に感じていたところです。

結局目指すところは「深い学び」であり、主体的・対話的であるということは、それに至るまでの過程ではないのか、と考えていました。

それに対して、文科省の回答を引用しながら書いています。

この発言に対する文科省事務局の回答は「『主体的な』ということ、『対話的な』ということが、ある意味、深さの実現に資するべきというご見解と、一方で、『主体的な学び』ということは一つの学びのエンジンとして極めて基盤になるものであるので、それはそれとして並列的に言っておくべきではないかという御見解と、あるところでございます」というものであった。事務局説明の後者の見解が最終的に学習指導要領に記載されることになった「主体的・対話的で深い学び」の理念を語っている。

本書p43〜p44より引用

としています。

そう考えると、アクティブラーニングということばからの系譜を受け継ぎ、それぞれの視点に重きをおくことがわかります。

加えて、「主体的・対話的」という言葉が、方法論に過ぎない形で終わってしまうことのないようにしたいという理念が含まれているようにも思います。
(これはあくまで私の感じ方ですが)

いずれにせよ、「アクティブラーニング」も「主体的・対話的で深い学び」も、教員目線からすると、指導方法の視点というより授業改善の視点として捉えることが重要なのだろうと考えます。

◯「信念」の良し悪し

ここからは、個人的に面白かったチャプターも含めて取り上げていきたいと思います。

1点目は、「教員の信念」に関することです。

授業の構想や、授業中の振る舞い等において、「教員の信念」が大きく寄与するということが、これまでも述べられてきていました。

それを改めて考えているとことが興味深かったです。

この章で取り上げていたのは、どちらかというと
“教員の信念がマイナスにはたらくことがある”
ということに関してです。
“信念へのとらわれ”
というような書き方をしていました。

とても勉強になります。従来の積み重ねに縛られてしまう、とも言い換えられるようにも思います。

そう考えると、自分として大事だと思うことは、

“メタ信念”

です。申し訳ありません。言ってみたかっただけです。

イメージとしては、

“自分の教育に対する信念が「不易流行」に沿うものであるか疑う目でみようという信念”
とか
“自分の信念を見つめ直し改変していくことが重要であるという信念”
とかでしょうか。

もしかしたら筆者もここまで含めて“信念”という言葉を使っているのかもしれません。そこまでは読み取れませんでした。

でも、この“メタ信念”は個人的には大事にしていきたいところです。

◯授業研究のあり方〜子ども目線か教師目線か〜

研究的な視点では、授業研究のあり方についてのチャプターも非常に参考になりました。

それまでの教師目線からの授業研究から、
佐藤学氏の「学びの共同体」構想を受けて、
授業研究の視点が
子ども(学習者)目線からのものが行われるようになってきたこと。

非常に現在の流れが理解しやすかったです。

面白いと思うのは、その上で
教師目線からの必要性
もおろそかにしないというところです。

この考え方は、「子ども目線」を大事にしすぎな現在の流れにおいて、とても重要なように感じています。

自身が授業研究会を企画するような際には、ぜひ参考にしていきたいところです。

◯私の思うこと〜第三者視点での“学び”の捉え方〜

それを受けて、自分が今考えていることを記述しておきます。

自分の中では、“学び”ということを“子ども”と"教師”の2つの目線から捉えること自体に違和感を持っているところでもあります。

それら2者の相互作用、または環境要因(他者も含む)も加えて、“学び”は初めて生起するようなもののようにも思っています。

「子どもがどう学ぶか」「教師がどう教えるか」
ではなく
「学びがどう生起するか」

というように捉えていきたい気持ちがあります。

学びを
それぞれの個人内のプロセスとして捉えるのではなく、
「現象」として捉える

といった感じでしょうか。

もちろん、その"学び”を促進する主体となるのは「子ども」や「教師」の場合が多いとは思います。

ただ、「学び」をそのように捉える視点を持っていたい。

そう考えることで、学校での学習の独自性や素敵さがわかってくるのではないかなぁ、というようにも思います。


まだ、考えがまとまっていませんが、自分の研究の軸になりそうな考えだと思いました。

何かご意見等あれば、ぜひ伺いたいところです。


そんなことを考えた1冊でした!

印象的だった本ということもあり、たくさん書いてしまいました。

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