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若手の先生に贈りたい1冊〜みずみずしい情緒的手応え〜【読書のキロク】

こんばんは、"もっちゃん”です。

“みずみずしい”って、どういうことでしょうか。
具体的に説明するのはなんとなく難しい言葉ではありますが、非常にようすがイメージしやすい言葉でもあると思います。

ちなみに、英語だとどうなるのでしょう。
シンプルに“fresh”になるのでしょうか。
それとも“juicy”とかにもなってくるのでしょうか。

いろいろなイメージを抱く言葉でもありますが、そんな例えが印象に残った今回の1冊です。

◯今回読んだ本:『学びの心理学 授業をデザインする』 著者:秋田喜代美 左右社

秋田先生の本になります。発行は2012年と少し前の本になりますが、今でもほとんど変わりなく通用するものと思います。

◯概要

教育心理学の第一人者、いまもっとも教師に信頼されている秋田喜代美が最新の学問的成果を、授業の実践方法として提示する。何かと教育が批判される困難の中で、教師と生徒が信頼関係を築くにはどのような視点と活動が必要なのか。だれもが共感をもって読める1冊。

魅力的な授業には小学校、中学校、高等学校という学校種を超えて、また地域や教科も超えて、共通した雰囲気と学びの原理が生きている。それはどの子どもも居心地がよく安心していられると感じられる教室、そしてさらに子どもたちが深く学べていると感じられる教室であることだ。
(「はじめに」より)

上記ホームページ内容紹介より引用

研究をする方というよりも、実際に教育現場で働いている方向けに書かれている本だと思いました。実用的なところから、その根本的なところまで書いてある本になります。

◯内容が充実しすぎ!

本書は第8章まであり、授業や授業研究、対話や協働に至るまで、非常に幅広くテーマを取り上げています。

それぞれにかなり考えさせられることが書かれていますので、すべて取り上げていると、ものすごい分量になってしまいます。

秋田先生ファンの方は、ぜひ読んでいただきたく思います。なんとなく秋田先生の考え方が垣間見える感じがします。

ただ、ボリュームがすごいので、本記事では、気になった点を一部取り上げる程度にします。

◯教師の熟達における獲得と喪失

個人的に興味があるのは、第8章の教師の生涯発達に関するところでした。

そこでは、教師の発達のモデルに関して、単純に知識やスキルを獲得していくモデルも含めて、計4つのモデルを紹介しています。

自分がその中で一番取り上げたいとおもうのが、「獲得・喪失両義性モデル」です。

10年以上の経験を経て、なんとなく実感を伴いつつ感じられるようになったことです。

簡単に言えば、教師として経験を重ねていくことで、獲得することがある一方で、「喪失するものもある」ということです。

これは、とても重要なことだと思います。熟達者は知識やスキルの獲得が進んだ一方で、何か失ったもの、見えてこなくなったものがある、という話です。

◯熟達者の落とし穴

少し話は異なるかもしれませんが、「熟達者の落とし穴」という言葉があります。

熟達者は、知識やスキルを十分に獲得しているが故に、それが自動化されていくことで、子どもたちへの配慮が欠けるという側面もある、とのことです。

これも熟達者が知識やスキルの獲得が進んだ一方で、何か失う、見えてこなくなる事象の一つかと思います。

これはいろいろな時に意識すべきことでしょう。

例えば、「初任者指導」の際。
おそらく指導するのはそれなりに熟達したベテラン側の人かと思います。

確かに手続的知識のようなものは十分に獲得し、授業の進め方等はとてもスムーズかと思います。ただ、それゆえに見えてこなくなっているものもあります。

そのことを自覚して指導するのか、そうでないのか、というだけでも、初任者指導に大きな違いが出てくると思います。

◯“みずみずしい情緒的手応え”

熟達していくことで喪失していくものの一つとして秋田氏が挙げているのが、"みずみずしい情緒的手応え"というものです。

もはやこの響きだけでも、自分が喪失していることを感じてしまいます。

初任の頃、若かりしころ、技術的には未熟でありながらも、子どもたちのために試行錯誤しながら熱量を持って仕事に臨んだ日々。
また、それに応じて子どもからもらった、あの嬉しい喜びと確かな手応え

そういったものは喪失していくわけです。

注意点というか、私が個人的に思ったことがあります。

熟達していくにあたって、この”みずみずしい情緒的手応え”は確かに喪失していくものだと思います。
この“みずみずしさ”には、技術的に熟達していない、未熟さがもたらすということも含まれているように思います。

言い換えれば、熟達していないが故のみずみずしさである、とも思います。

だから、逆に言えば、熟達してきたら持ち合わせていては何か変なもののように感じています。

けっして、熟達者たちが"みずみずしくない”、"新鮮な感性を持ち合わせていない”というわけではないと思っています。

いろいろな経験を重ね、“みずみずしい情緒的手応え”を喪失していくことがネガティブなことではない、と解釈しています。

みなさんは、どうお捉えになっていますでしょうか。

◯若いことはそれだけで武器になる

とはいえ、「若い」ということは、教育現場ではそれだけで武器になるとも思います。

なんでしょう。「若い」というだけで、子どもたちは寄ってきますよね。

断じて若くないから子どもたちが寄ってこないというわけではありません。

ただ、OJTなどの名目で、技術的に未熟であるにも関わらず初任者から担任を務めながら授業を実施していかなければいけない現状

「若い」というのは、それだけで初任などの若手の先生にとっての大きな武器であると思います。ベテランにはない良さがそこにはあると思います

自信を持って教壇に立ち、教師として生きていってほしいと思います。

なんとなく、若手の離職が囁かれたりしている昨今の時代背景を受けてか、そんなことを考えてしまいました。


そんなことを考えた1冊でした!

非常に網羅的に扱っていながらも含みの多い考えさせられる本でした。

ぜひみなさんにも手に取っていただきたいと思います。


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