見出し画像

手放そうとするから、手放せない。

「手放そう」とした時、

手放せないことが確定します。

手放そうとする時、それを握っていたい私を蔑ろにしています。

それが葛藤につながっていきます。

それを握り締める私と向き合っていくと

手放そうとすることなく、手放しています。

自覚の道は、

どんな私も蔑ろにしないから

葛藤は起きません。

わかりやすい例として、ダイエットについてお話ししてみます。

ダイエットが続かないのは意思が弱いからではありません。

例えば、

ダイエットをしようとした時、

よーしダイエットを頑張るぞ!と意気込み

食事を減らし、お菓子を禁止し、

これしか食べないぞ!という戒律で"食べたい私"を戒め、窮屈にします。

食べたい私が成仏していないのに、

その私を蔑ろにして、

閉じ込めようとするから失敗の確率は極めて高くなるのは明白です。

何度もダイエットを失敗しては、また始めて、と繰り返している人は

食べたい私と向き合うことから始めてみることをおすすめします。

最初の意気込みは長くは持ちません、

食べたい私を気合いと根性で押さえ込むしかなくなります。

気合いと根性で痩せたとしても、

気が緩むとまた食べたい私が顔を出します。

それがリバウンドに繋がっていきます。

向き合うことを極めていくなら、

気合も根性も必要ありません。

ダイエットに限らず、意識の広がり、悟りの道も同様です。

あれをしてはいけない、これもダメ

このようにせよ、あのようにせよと戒律で縛るものは、

総じて葛藤が起きやすいものです。

執着を手放せ、煩悩に打ち勝てとなりがちなのもわからなくもないですが、

それはだいぶ茨の道のように思います。

茨の道が故に、うまくいく人は少なく

できないのは自分が未熟だからだ

続かないのは修行が足りないからだと 自分を責めがちになります。

戒律で縛り、理想を追わせるものは総じて

窮屈で進みが遅いものです。

意識の道、悟りの道もそのようなものが多いように思います。

どんな私も蔑ろにせずに、向き合っていくなら

成仏させようとせずに、成仏しています。

手放そうとすることなく、手放しています。

これは頭でわかることではなく、

その道を自らの足で歩いてみて、はじめてわかることです。

自覚の道でお待ちしております。


「向き合う」というのは、
自身の思考や言動を見て、反省するのではありません。
思考や言動と向き合うと、あれこれと判断して、反省したり、
そうしている自分を責めたりしがちで苦しくなります。

思考や言動をあるようにする私と向き合っていきます。
そこには肯定も否定も判断もありません。

●自覚カウンセリング
自分自身と向き合うことに卓越した自覚カウンセラーがあなたの悩みに一緒に向き合います。ご自身では自覚していない私、自覚していない囚われを一緒に丁寧に向き合ってきます。どのような私も蔑ろにせずに向き合うことで、対処ではなく本質的な解消に踏み出していきませんか。

詳細はこちらをご覧ください 自覚カウンセリング

●自覚基礎コース
ご自身で自覚を実践されていきたい方は、自覚基礎コースをご用意しています。日常で自覚を実践しながら、定期的な面談で、自覚の精度を上げていきます。あらゆる囚われから自由になっていきたい方、本気で自分自身と向き合っていきたい方是非お待ちしております。

詳細はこちらをご覧ください 自覚基礎コース

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?