障害年金の獲得を自慢する行為は弱者性の競争の結末である
最近は障害年金の受給を自慢するような行為がSNSで散見されるのでそれがなぜ起こっているのかについて持論を述べていきたいと思います。
より弱い者のほうがすごいという価値観
世の中には競争というものが存在していますが、それは2つの意味で存在します。
一つはプラスの競争です。学歴が高いほどよい、お金を持っていれば持っているほどよいという競争です。
これは資本主義世界に暮らしていれば必ず一度は触れる価値観であり、また多くの人がこの価値観のもと勝利を勝ち取るための行動を今日も繰り返しています。
一方でマイナスの競争というのも存在しています。それは社会的弱者に対してその弱者性に基づいて与えられる福祉のことを言います。
たとえば身体障碍者で手や足に欠損を抱えていて、障害年金をもらっている人がいるとします。
また、精神疾患を抱えていても、その弱者性を国に認めてもらうことができずに障害年金をもらうことができていない人がいるとします。
前者は弱者性を競うマイナスの競争に勝ったと言えますが、後者はマイナスの競争に負けたということができます。
マイナスの競争とプラスの競争
そしてプラスの競争とマイナスの競争はつながっています。
より弱い者の立場から資本主義のお金稼ぎゲームや恋愛ゲームに勝てる者のほうがすごいという価値観が現在は世界を支配しています。
少し前に徳島からスタンフォードに合格したピンクの髪の少女が話題になったことがありましたが、その人が出版した本にも、自身の弱者性を強調する文章が書かれていました。
その本の宣伝文句としては「味方無し」「お金無し」「英語力無し」という言葉が使われ、そうした弱者の立場でありながらスタンフォードに合格したというすごさが強調されていました。
ただ、そのあとになって彼女の父親が東京大学医学部の教授であり、まったく弱者ではなかったとしてSNS上で炎上していました。
彼女を持ち上げていた人たちの心理としては、弱者の立場から成りあがった彼女が好きだったわけであり、もとから成功する要因を持ち合わせていた彼女を好きだったわけではなかったのです。
このように弱ければ弱いほど成功が強調されるという点において、マイナスの競争とプラスの競争はつながっているということができます。
障害年金の受給は弱者性の競争における勝者である
ここで、最近散見される障害年金の金額を自慢する行為について書いていきたいと思いますが、これも弱者性の競争によるものです。
障害年金の受給という行為は、自分が弱い立場であることを国に認められたという証拠を示すわけであり、弱者性の競争における勝者ということができます。
つまり、XなどのSNSで障害年金の金額を自慢する行為は、自身がマイナスの競争に勝ったことを顕示する意味を持つと言えます。
ある意味で、福祉国家である日本においてそうした行動がみられるのはそうしたマイナスの競争における結果であり、自然のことと言えます。
しかし、その行動は弱者に対して一般大衆が抱くイメージを毀損する行為であり、決して気持ちの良い行為だとは言いずらいでしょう。
これを解決するためにはベーシックインカムの導入や、それに準ずる形での生活保護の受給基準の引き下げなどを行っていく必要があると思います。
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