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働けなくても何もできなくても生きていていい

今回は閉鎖病棟に私が入院した時の経験から言えることを書いていきたいと思います。

平穏な暮らしさえ病気に奪われた人たち

わたしは精神科の閉鎖病棟に1か月ほど入院していたことがありますが、そこでは病気に平穏な暮らしを奪われた人たちがたくさんいました。

例えば統合失調症の症状で常に幻聴が聞こえているおじいさん。私はそのおじいさんと一緒にお風呂に入る機会が多かったのでよく覚えています。

そのおじいさんは看護師に、「病院の窓から飛び降りろと頭の中で命令されている」と症状の説明をしていました。

4人部屋で一緒の部屋だったので毎日の看護師による体調確認の声が私にも聞こえてくるのです。そのたびに幻聴について看護師に訴えていました。

医師も3日に一度くらいはそのおじいさんのもとを訪ねるのですが、もうほとんど症状が固定してしまっていて、薬物療法をどう施しても治しようがないという感じでした。

またあるおじいさんは「自分のにおいが部屋に充満している気がする」と看護師に症状を訴えていました。ちなみにそのおじいさんも私と部屋が一緒だったので毎日の体調確認の声が聞こえてきました。

その二人目のおじいさんは何度も入院を繰り返しているそうで、ここに来るのは3回目なのだそうです。それだけ病気の再発を繰り返していて、なかなか症状が良くならないのだそうです。

健康で生きているだけで価値がある

この入院経験から分かったことは、健康で生きているだけで価値があるということです。病気に暮らしを侵食された人は平和に毎日を暮らす権利さえも奪われてしまっているのです。

もしこれを読んでいるあなたが働けないということで悩んでいるとしてもそれは悩むようなことではありません。むしろ働けないと悩めるだけ幸せです。

この世界にはそれ以前の段階で幸せを奪われた人たちがたくさんいます。なかなか世の中が取り上げないから触れ合う機会がありませんが、精神病院の慢性期病棟にはそうした人が多くいます。

病気が治ったらその状態を大事にする

この記事を読んでいる人はおそらく何らかの精神的な病気を抱えている、もしくは病気から快復したけどまだ何もできていない人なのではないかと思います。

そうした人に言いたいのは、もし元気になったらその状態をできるだけ大事にしてほしいということです。

健康で何不自由しない生活を送れることは当たり前ではありません。多くの人は病気になってから初めて不自由のない暮らしがどれだけ幸せかということに気付くのですが、これを読んでいる人には普通の暮らしがどれだけ贅沢かということに気付いてほしいのです。

だから、働けなくても何もできない自分を責めなくてもよいのです。むしろこうしてスマホやパソコンを使って文章を読めるという一見当たり前のことに感謝して毎日を過ごしてほしいです。

世の中にはそれさえもまともにできない人がたくさんいます。当たり前にできることに感謝して、できないことがたくさんあってもそれを過度に気にしすぎないように生きてください。

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