タマシイは普段どこにいるんだろう
実はお盆です。
と言っても普通は8月(13〜15日)ですよね。
元々は7月だったのが、旧暦から新暦で
8月に行うのが一般化したということですが、
それより「7月だと農繁期と重なるから」って
理由の方が大きかったらしいですね。
夏休みの方がお墓参りにも行きやすいしね。
普段は信仰心なんてない人々も
お墓参りのときは手を合わせたりして、
それは生と死について考える数少ない機会
だったりもします。
死んだらどうなるんだろう、ってのは
永遠の疑問です。
神様は信じなくても、死んでも魂は残る?
なんてことは考えたりします。
ココロのある場所
ココロはどこにあるか。
っていうことを考えると、
一般的にはふたとおり考え方があって、
胸の中にあるか。アタマの中にあるか。
ということになります。
胸の中とはまあ、心臓のことですけど、
ドキドキしたり、
キュッと縮まったりする感覚から、
そういう気がするわけです。
アタマの中、っていうのは、
もっと理屈っぽく、
いろんなことを「思う、考える」
というところから、きていると思われます。
わたしとしては
「胸の中説」をとりたいと思います。
イコール心臓、ということではないですけど、
なんか、カラダの奥の方。というか、
もし、肉体というものが、
たんなる「肉」の「カラダ」だとすると、
それを動かしているモノは、
やっぱりもっと奥の方にあるのでは。
と、思うわけです。
生きてる=タマシイがいる説
むかし、シェリー夫人というひとが、
「フランケンシュタインの怪物」
という話を書きました。
あの死体を甦らせる恐怖小説ですね。
カラダはつなぎ合わせてつくれても、
どうしても命がつくれない。
なので雷を利用して、そのショックで
死体を甦らせた。という話でした。
寝ているタマシイを起こしたんですかね?
カラダはそのまんまあっても、
それだけでは生きていることにはならない。
植物人間。という悲劇もありますが、
結局のところ、タマシイがないと、
ヒトは動かないというわけです。
「ジェットコースターに乗ると
どうしてこわいのか?
それは、あまりのスピードに、
タマシイがついていけず、
一瞬、後ろにおいていかれるからだ」
な~んて、一瞬ホントかな?
なんて思ってしまいました。
肉体とタマシイのズレ
あるおばあさんが、
ディズニーランドのスペースマウンテンで、
あまりの恐ろしさに、叫びまくり、
やっとの事でゴールについて、
安堵のあまり、そのまま呆然としていたら、
そのまま、
またスタートしてしまったそうです。
コースターを降りたヒトが、驚いていると、
おばあさんの叫び声が、どんどん遠くに、
ちいさくちいさく
フェードアウトしていったそうです。
遅れたタマシイがゴールに着くのが、
まにあわなかったんですね。
ホラーですねえ。
人間に肉体とタマシイという要素があって
その両方があることで生きているとすると
まあズレたりすることもあるかなと思います。
よく抜けたりするみたいだしね。
ボーッとしてるのを「タマシイが抜けてる」
みたいに表現することもあります。
体は生きてるのに。
そう考えるとココロは頭の方にある説も
説得力ある気もしますね。
ちなみにタマシイを「魂」と書かないのは
あんまり可愛くないからです。
塊(かたまり)みたいで
あんまりふわふわしないからなあ。
次回の言葉は「外れる」です。
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