さとのば大学は、「本気の挑戦」ができる場所。地域でマイプロを実践した小曽根さんが語る”自分らしい未来”【在校生インタビュー】
こんにちは。地域を旅する大学 さとのば大学のnote編集部です。
さとのば大学の旅する大学コース(4年制)では、日本のさまざまな地域に1年ずつ暮らし、4年間を通して「マイプロジェクト」を実践しながら学んでいきます。
「マイプロジェクト」とは自分の関心を軸に、地域や身の回りの課題と掛け合わせて各自がテーマを設定し取り組むプロジェクト学習のこと。在校生は北から南まで10の連携地域に留学しながら、各地で地域資源や課題を見つけ、それぞれにユニークなマイプロジェクトを実践しています。
今回の記事では さとのば大学3年生の小曽根さんに、1年生として初めて留学した岡山県西粟倉村で取り組んだマイプロジェクトをテーマに、そこから何を学んだのか、またこれからの気持ちについて聞いてきました。
得意の「料理」と地域の「ジビエ」で事を起こす
──そもそも小曽根さんが、西粟倉村を1年目の留学地域に選んだ経緯を教えてください。
どこに留学しようかなと連携地域をいくつか見学に行ったなかの一つが西粟倉でした。その時に、地域の方から夕食にお招きいただいて夜遅くまでお話しする機会があったんです。
初対面だったんですが、自然と自分の弱い部分や悩み、心の深くで考えていることを話せて、西粟倉に来ればこんなに心を開いて安心してお話しできる方がいるんだって、嬉しくなりました。こういう温かい人がいるのであれば、この村に来て楽しい生活を送れるだろうという確信が持てたのが大きかったですね。
西粟倉村はエネルギッシュでアクティブな方々が多くて。自分で設定したゴールに向けて、意志を持って取り組んでいる方に多く出会って来ました。
例えば元湯ゲストハウスという宿泊施設を営んでいる半田守さん。僕もアルバイトさせていただいていたのですが、お金の話など経営の部分まで聞かせくださいました。
それからシブヤカバンの渋谷肇さんには、村内に新しくできるシェアキッチンを一緒にやらないかと声をかけてくださいました。チャレンジしようとしている人に、そうやって声をかけてくれる方が多い地域ですね。
ーそんな西粟倉村ではどんなマイプロジェクトに取り組みましたか?
二つの「しょく育」、食べることの「食」と、職業の「職」の教育です。
西粟倉では、先人から受け継いだ森林を100年大切に育てようと「百年の森林構想」を掲げていて、獣害対策でジビエ肉の商品化を進めています。でも一方でそんな村の子供たちが、鹿肉や猪肉といったジビエについてあまりよく知らないんです。それではジビエ文化がなかなか根付いていかない。
そこに問題意識を持ったのがプロジェクト立ち上げのきっかけでした。
もともと料理のスキルがあったので、それを活かした取り組みを実施したいという思いもありました。
1年生の7月に、子ども向けの料理教室を初めて企画しました。せっかくなら全国の方々に西粟倉を知ってもらいたいという思いもあり、日本どこからでも参加できるようにオンラインで鹿肉ハンバーガーを作るイベントにしました。
するとそこに「料理人になるのが夢」という西粟倉村の小学生が参加してくれたんです。ジビエにも関心を持ってくれて、「じゃあ一緒に何か作ろう」ということで、2回目は10月に村の小学生向けに猪肉のライスバーガーを作るイベントを一緒に企画、実施しました。
そんな経緯もあって食育に興味を持ち始めて、小学生の給食でジビエメニューを提供させていただくなど、子どもたちに向けた活動を展開していきました。
ー地元の小学生が参加して、興味を持ってくれたのは嬉しいですね。
はい、彼が自分から料理イベントをやりたいと言ってくれたことはすごく嬉しかったですね。
あと、給食を食べた子ども達の「美味しい」というリアクションも嬉しかったです。
僕のマイプロジェクトが子どもたちの『食への関心』に繋がったり、食の未来を考えるきっかけになったら、活動にもすごく意味があったなと思いますね。
ただ一方で失敗したこともあります。給食用の猪肉の発注のやりとりを曖昧にしてしまったために、前日に肉が届かないことがありました。結果的にはなんとか間に合わせることができたのですが、もし手に入っていなければ120人分の給食が無くなっていました。その一件以降、役割分担や仕事の納期については深く反省しましたし、今でも気をつけなければいけないと思っていますね。
ー働く方の「職」でいうと、どんな関心があるのでしょう?
自分は高校時代からアルバイトをたくさんやったり、さまざまな仕事や大人に触れたおかげで職業についてのイメージがある程度できるようになりました。そうした経験から、普段あまり多様な職業に触れる機会が少ない子たちにも、身近に「仕事」を考えるきっかけを作りたいと思っています。
また僕が興味を持った「生産者」や「加工者」といった食についての職業についても多くの人に知ってもらうことで、生産者と消費者がつながる道筋を作っていきたいと考えています。
生産の現場に関わりたいという思いが生まれたN高時代
ー小曽根さんはさとのば大学に入るまで、どういう高校時代を送ってきたんでしょうか?
元々、高校は全日制に通っていたんですが、当時、周りの生徒たちと温度差を感じてしまって。「狭い世界じゃなく、もっと違う世界に行きたい」と思ったことをきっかけに高校の途中からN高に編入したんです。
N高に入ってからは飲食店でアルバイトをはじめたり、学校の職業体験プログラムに参加したりと、さまざまな大人と関わるきっかけを持ちながらいろんな経験を積んでいました。その頃から、料理人になりたいという思いは抱いていましたね。
そんな中、職業体験の一環で訪れた長崎県 五島列島での滞在をきっかけに、地域と関わる魅力や、地域の風土に関心を持つようになったんです。
僕自身、生まれは名古屋ですが父親の転勤で各地を転々とし、小学校5年生からは岐阜に住んでいました。岐阜は山の中ですが、五島は離島で、自然の違いによって産業が違うことを身をもって感じましたね。
五島では漁師さんのお宅に民泊したのですが、そこでは船で漁に行って自分の手で獲った魚を食べるという一連の流れを体験させてもらいました。都市に住んでいると、食べ物っていろいろな人の手を経てやっと自分達まで届くものだと思うのですが、島では生産者と消費者がすごく近くて。
「生産者と消費者をつなげることって実は簡単なのかもしれない」と思えたのは、大きな発見でした。そして将来は生産の現場に携わる仕事がしたい。そんな想いを抱いたのは、高校3年の6月くらいでしたね。
ーそこからなぜさとのば大学に入学することに至ったのでしょうか?
さとのば大学はInstagramで偶然見つけたんですが、いろんな地域で学べて、しかもさとのば生という肩書きがあれば地域にも入っていきやすい。そんなところに魅力を感じました。
元々、色々な地域を訪れながら学ぶことに憧れがあり、『旅がしたい』という思いはありました。N高に行った時点で普通のレールから外れているので、どうせなら変わった道に行きたい、というのも、最終的にさとのば大学を選んだ動機の一つです。
一人で旅をするのではなく、一緒に学びあう仲間がいるのも心強かったですね。発起人の信岡さんとお話ししたときに、「無邪気な気持ちを忘れていない大人の姿」に触れて、刺激を受けたのもありました。いろんな苦労はあっても、初心を忘れずいろんなことにチャレンジしてみようという姿が、ひとつのロールモデルだと思いました。
マイプロジェクトで得たのは「人とのつながり」
ー縁あってさとのば大学に入学し、西粟倉での学びに繋がるわけですね。マイプロジェクトを通して、まさきくん自身が得た学びや成長したことはズバリなんでしょうか?
一番身についたのは、「人に甘える力」です。今まで他人に頼ることが苦手で、自分の弱さを見せることが苦手だったんです。ですが、「この人だったら心を開いていいな」とか、「この人に頼ることによって自分のやりたいことが広がるな」っていうのが、しっかりと見極められるようになりました。
人に嫌われたくない、人に良くみられたい。自分の弱さを見せることで「あいつそんなこともできないのか」って思われるのが嫌で、これまで人に甘えるのがとても苦手でした。完璧である自分でいたい感情が強かったんです。
そうじゃないなって思えたのは、西粟倉村の大人たちに、『子ども』ではなく『一人の人間』として扱ってもらえたからです。「助けて」って言ったら助けてもらえる信頼関係ができていた。期待や信頼に応えるために、「自分にはここはできるけど、ここはできない」という判断と意思表示ができるようになったのも大きかったと思います。
また西粟倉で、柔軟に対応できる大人に出会ったことで、自分が持っていた大人のイメージが変わりました。謝るところは謝るし、頼るところは頼る。自分の意志を持った上で柔軟にチャレンジできている大人たちは素敵で、僕もそれを真似していきたいと思っています。
失敗を失敗ではなく、学びとしての成功体験に繋げられることは、地域で学ぶ最大のメリットだと思います。失敗したとしても助けてもらったことで感謝が生まれて、そこでまた人との繋がりができるし、「あの時はありがとうございました」って日々言葉を交わすことができるようになる。「あのとき失敗したけど、今こうやってできているんだからいいじゃない」って、失敗を温かく笑ってくれる人がいるのも、地域の良さだと感じます。
マイプロジェクトで得た経験を、次に続く学生に伝えたい
ー卒業後はどんな将来を描いていますか?
自分の中のテーマとして、「教育」と「食」と「職業」があります。生産者と消費者をつなげるプラットフォームをつくろうと思っていたり、生産者の後継者をつくろうと思っていたり。生産者が増えて、生産者と関わる関係人口も増えれば地域の活性化にもつながると思います。子どもたちの「なりたい職業ランキング」でサッカー選手やYouTuberと同じように、生産者や農家が挙がるようになるのが、僕の長期的な目標です。
そのためには起業も一つの選択肢だと思っていますが、やりたいことができる会社があるのであれば就職するのも良いと思っています。やりたいことはありながらも、まだ決まり切っているわけではありませんが、どんな進路を選んだとしても、『面白い人間になりたい』っていう気持ちはあります。
ー最後に、未来のさとのば生に対してエールやアドバイスはありますか?
さとのば大学は僕にとっては『研究所』だと思っています。待ちの姿勢ではなく自分で何かを作ろうっていうマインドがある学生に向いています。自分のやりたいことがはっきりと見つかっていなくても、何かチャレンジしてみたいという感情があれば、さとのば大学に向いていると思います。
重要なのは、さとのば大学で生まれる「人との出会い」です。しばらく会っていなくても、温かく迎え入れてくれる人たちがいる。どれだけ失敗してもあそこにいけば自分の心が落ち着く。そんな場所を得られたというのが、僕にとってさとのば大学の意味でした。
1年間で色々な人に出会って、チャレンジして、壁にもぶつかったりしましたが全てが学びになったと思います。これから入学する人たちにも、ぜひチャレンジをしてほしいと思います。
(2022年6月10日の取材原稿を再構成)
■暮らしながらプロジェクトを実践する、さとのば大学の学びのフィールドは現在10地域
さとのば大学では、4年間1年ずつ多様な地域へ留学し、地域での様々な人との出会いや対話を通して自分自身の関心を探り、マイプロジェクトへと繋げて実践していきます。ぜひあなたらしさが活かせる地域を、見つけに行きませんか。
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