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『暴力を知らせる直感の力』 体感治安の低下に適切に対処する 名刺代わりの12冊その6

 耳を傾けるべき声を無視し、聞くべきでない騒音に狼狽える。

『暴力を知らせる直感の力』,ギャヴィン・ディー・ベッカー著,武者圭子訳,パンローリング株式会社発行,2017年刊行

 残念ながら、どんな人であろうと社会生活を営んでいれば、必ず何かしらの暴力に接することになる。被害者になるか、すんでのところで被害を免れるか、呆然と目撃するか、あるいは自分が暴力を振るうか。
 強盗やストーカー絡みの事件が連日報道される今日この頃、体感治安の低下(実際はどうかはさておき)に不安を感じるのなら、この本をすぐに読んだ方がいい。煽っているのではなく、その不安を適切に受け止め、やみくもに怯えて走り回るのではなく、本当に心を砕くべきところへ目を向けるために、そうすべきだ。

 この本は、アメリカのセキュリティコンサルタントが、ストーカーやDV、職場内暴力、あるいは通り魔や性犯罪等々から身を守るために、何を知るべきか、何を考えるべきか、何をなすべきかについて述べている本である。
 内容は、非常に実用的だが、単純なノウハウやチェックリスト、あるいはおどろおどろしい恐怖を煽るゴシップではない。たぶん、そうだったらこの本はもっと売れて話題になっていたのだろうけど、そうではない。
 とても誠実な本だと思う。

 著者のギャヴィン・ディー・ベッカー氏は、薬物と銃弾がリアルに飛び交うアメリカの機能不全の家庭に育ち、様々な危険に直面しながらもまっとうに生き延び、そしてセキュリティコンサルタント会社を経営するに至った。顧客はごく普通の家庭の主婦から国家要人・ミリオンセラーをたたき出す芸能人まで、様々だ。
 彼は、決して犯罪を犯す人間を「自分とは違う怪物」とは見なさない。さりとて、同情に溺れて「社会が全て悪いのだ」と嘆く訳でもない。
 この本の訴えは、煎じ詰めれば、
「犯罪者は(われわれがそう思いたがるのと違って)他の人とそれほど違う存在ではない」
ということである。

このような殺人者を表現するのに、わたしたちは「非人間的」と言う。わたしはこの二人をよく知っているが、二人はともに非人間ではない。まさしく人間である。ほかにも似たような人間を、わたしはたくさん知っている。犯罪者の親や、犠牲者の親も知っている。暴力犯罪はたしかに忌まわしいものだが、それは「非人間的」なものではない。

3章 だれもが犯罪者になれる

 このことは、すなわち、われわれが日常生活の中で周囲の人の気持ちを推し量って生きているのと同じように、犯罪者のサインを推し量り、それに対応することが、可能である——という希望なのだ。

★★★

 この本を読んでいると、私は日頃、本当に注意を向けるべきものを安易にスルーし、気にすべきではないものに振り回されがちなのだな、と実感する。
 犯罪は唐突に落下してくるように見えるのだが、実はそうではなく、前触れはいくつもある。突然キレたように見える相手も、それ以前にいくつもシグナルを出している。
 だがそういう危険信号も、様々な状況の綾や幸運によって、少々の波を立てただけで済むと、「問題なく終わった」という深い沼に沈められて、忘れられてしまう。
 恐らくそれは犯罪だけではない。われわれは、大事故も、健康も、環境問題も、災害も、社会システムの歪みも、いくつものサインを経験してすら、すぐになかったことにしてしまうのだ。

 注意を向ける方向をミスる他にも、罠はある。実際に危険が近づいてきた時の対処法も、われわれは過ちがちだ。
 たとえばこの本には、しつこくつきまとってくる人間(DVや暴力的ストーカーとはちょっと違う)に巻き込まれた時の対処法が紹介されているが、その基本は何と、「完全に無視する」ことなのである。その完全な無視、というのは、電話番号を変えるとか引っ越すとかいうものではない。電話番号はそのままに、家もそのままに、ただ電話を留守番モードにして言われたことをスルーし、手紙をスルーし、「何もしない」ことで、相手に自分がこの闘いに参戦するつもりがないことを伝えるのだ。
 だがわれわれは逆に、「いい加減にやめるよう要求する」とか「自分がどんなに悪いことをしているかわかってもらう」とか「警察や私立探偵に警告してもらう」といった「断固とした行動」を採用しがちである。それによって、実は相手との闘いに自ら参戦し、相手の行動を駆り立ててしまう。
 そういう行動を取ってしまうのは、「相手が何を考え何を感じているのか」という想像を「相手はおかしい」の一言ですっ飛ばし、自分の受けた苦しみを何とか相手に返して相手を変えたいという欲求に飛びついてしまう——それは皮肉にも、つきまといをする相手と同じ種類の行動だ——からなのだ。

★★★

 この本には、様々な種類の犯罪や危険に関する対処の他に、もっと大きな社会的問題、若年者の凶悪犯罪や有名人への暴力的ストーキングが何故起こってしまうのかと言う根本的な原因への哀切な考察や、実際に手がけた有名人への危険なストーキング事件のルポルタージュ(その陰にあった犯人の恐ろしくも物悲しい人間性)が語られている。
 最後に、実際に危険を避けるために「直感」をどうしたら役に立てられるか、本来なら重要なアラートである恐怖を麻痺させずに正しく活用するにはどうすればいいのかについて、訴えてくれている。

 私は結構な心配性で、不安を覚えがちな人間である。だからこそ、この本が好きだ。
 些細なことで起こる胸騒ぎを、無意味な勘違いと一蹴するのではなく、「どうしてそう思ったの?」と考える癖がついたのは、この本のおかげである。その結果、役に立てられた心配もあり、ただ「何もなかったことを確認する」だけの行動をする羽目になったこともあるが、必ずそこには「何かがある」と思うようになった。その何かとは、結局のところ自分の見たくない部分だったりもするのだけれど……見たくない部分を見ないで済ませる方が、はるかに危険だということは、確かなのである。

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