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『月館の殺人』 綾辻行人さんの献身
幼児的支配者が君臨する世界。
佐々木倫子さんは写実的で画力が高い、と言われている。
それはそうだと思いつつ、一方で彼女の絵は、資料写真をそのまま線画にしたというような、「ひとが手で描いた絵である意味がない」状態になることもないではない。躍動的な仕草をしている人物が描かれていても、その場でポージングしているような印象を与える、動きのなさ。緻密で精密に描かれているのに、いや緻密に描かれていればいるほど、それは漫画というより写真の絵画加工といった錯覚を抱かせる。パラパラ漫画の1コマを見ているような。
彼女の作品は「動物のお医者さん」以降、「現実を綿密に取材した上で上手に漫画にする」という手法になっていった。「動物のお医者さん」に登場するH大学、「チャンネルはそのまま!」の小倉等々、モデルについていちいち指摘するのが野暮になるくらい、対応物が存在している。
(同じように大学の中の学問にまつわるドタバタを描く「もやしもん」が、一見東京農大や小泉武夫あたりをモデルに採用しているようでいて、実際には特定のモデルとなる大学も人物もいないのと、対照的である)
同時に佐々木さんは、緻密な現実引き写しの絵の中に、平然と古式ゆかしい記号的漫画表現を放り込む荒技を持っている。
登場人物が「カンカンに怒って頭から湯気を出す」「滝のような涙を流す」「青ざめて顔の上半分に縦線がびっしり入る」「眼鏡のレンズがキラリと光る」。
写真のようにリアルな絵の中に、突如、しかし何故か違和感のない形で立ち現れる戯画表現によって、物語は酩酊するような飛翔感を持つ。
★★★
彼女の描く世界が、どこかエルドラドめいたファンタジーであることは、今更言うまでもない。
現実には、雪丸花子のような社員はドジを帳消しになどできないし、山根一や伊賀観のような恐ろしく優秀な人材が諦観と忍耐でトラブルメーカーをサポートしてくれる状況は継続できない。屠殺や薬殺の葛藤に直面しない獣医学部も存在しない。
荒唐無稽なファンタジックな世界を、しかし写真のようにリアルな静止画が、戯画表現を片手に淡々と描写し続けることで、「こういう現実もまた存在するかも知れない」と読者は無意識に思わされてしまう。
私は、佐々木倫子さんという漫画家の「本質」は、写実性ではなく、荒唐無稽な記号的漫画表現の方にあると思っている。
彼女のデビュー直後数年の作品を知っている人は、賛同してくれるのではなかろうか。「コミック・フェスティバル」「食卓の魔術師」などの初期の短編は、傍若無人な人物が真面目な他人を幼児的な悪意(あるいは悪意はないが迷惑な無邪気さ)で振り回すという、黒須仮名子や漆原教授の原形を思わせる状況が展開する一方で、全く写実的ではない。
緻密な絵や綿密な取材は、荒唐無稽さを現実に着地させるために佐々木が採用した武器、方法論であって、佐々木倫子という漫画家の根ではあるまい。だからこそ、あれほどまでに「動いていない静止画」を平然と描いていられるのだろう。
★★★
こういう、緻密な「現実らしさ」を積み重ねることで、荒唐無稽な状況を成立させるという手法は、実は本格ミステリに共通するところ大である。
それゆえか、この「月館の殺人」は非常にまとまりのいい作品になっている。
綾辻行人さんが佐々木倫子さんという漫画家の性質をどれほど理解した上でプロットを作成したのか知らないが、物語のパーツは恐ろしいほどに彼女の特性を生かすように構築されている。綾辻行人さんの計算によるものだとしたら(そうだと私は思っているけれど)あっぱれとしか言いようがないし、万一これが偶然だったらミステリの女神がこの世に存在すると信じそうになってしまう。
この物語は、謎の夜行列車「幻夜」を、リアルで魅力ある存在として現前させることが、まず最初の骨格である。
北海道の吹雪のなか、忽然とわれわれの前に現れ、選ばれた人間のみを乗せて見知らぬ目的地月館へ運んでいく、かのオリエント急行の車体を蒸気機関車が牽引する豪華絢爛な寝台列車。その存在を読者に納得させることができなければ、全てがおじゃんである。
そしてその表現者として、佐々木倫子さんという漫画家は最適だった。
ディテールを硬質な緻密さで「絵」として描くことで、謎の夜行列車「幻夜」はリアリティを帯びる。列車が記号的な漫画表現でおざなりに描かれてしまったら、物語は始まる前から失速してしまうが、佐々木さんの作画が「幻夜」を本物と意識させる。もしもこれが文章であれば、鉄道マニア以外には何の興味もない専門用語の垂れ流しになりかねないし、実写の映像で表現するには莫大な予算が必要になるだろう。写真のごとき作画が可能な漫画家の表現ほど、この目的にかなったものはない。
では佐々木倫子さんの存在価値は「実写の代替」なのか?と言えば、もちろん、そうではない。
登場する人物は、本格ミステリであればお約束と言える、どうしようもない奇人変人。主人公の空海も例外ではない。こうしたおかしな連中をリアルな書き割りの背景に立たせることができる、という佐々木倫子さんの本質が、この物語の本当の柱だ。
「現代日本に育ちながら、生まれてから一度も鉄道に乗ったことがなく、現実離れしたとんちんかんな空想を矢継ぎ早にしてしまう少女」
「鉄道への偏愛のために常識と良識を千里の彼方に捨ててきたマニア」
「莫大な財力を投じて架空の鉄道を建設してのける億万長者」
等々、本格ミステリという外枠を援用してかろうじて存在できるようなタイプの人物が、タガの外れた人間を大まじめな絵柄で表現する彼女の力によって、生き生きと動き回ることができる。
そしてきわめつけは、「実は走っていない」という「幻夜」の秘密が、「動きのない写真のような漫画」でしれっと表現されているということ。人を食った視覚的叙述トリックとしか言い様がない。
外の風景が動かないのが、「そういう画風の漫画家が描いているから」と思わせておいて、実は本当に動いていなかった!という真相。「本当はその場から1メートルも走っていない列車」を、あたかも走っているように視覚的に表現しておいて、実は走っていませんでしたとひっくり返すのは、映画やドラマでは捨て身の出オチギャグになりかねないだろう。
★★★
ネットのレビューを見ていると、この漫画は綾辻行人さんのファン層には決して高評価ではないようだ。
本格ミステリという枠組みのみで考えると、トリックはものすごく新奇とは言えず(大掛かりな舞台誤認トリックはそれなりに前例がある)、犯人も想定の範囲内ではある(展開から考えて「意外な犯人」の候補になりうるのは日置か空海くらいしかいない)。
誤解されると困るけれど、伏線がきちんと張られたよく練られたプロットであり、決してつまらないミステリではない。ただ、「あの綾辻行人ならもの読者の全ての想像を超えたすごいものが書けるはず」というミステリファンの期待に応えるタイプの話ではない、ということだ。
(「幻夜」に電源車がついてないのが、設定ミスと思わせて実はトリックの伏線だったりするなど、本格ミステリファン向けというより鉄道マニア向けであるとも言えるが)
恐らく、この物語は本格ミステリである前に、「佐々木倫子の漫画の原作」なのだろう。奇人変人のマニアたちがが右往左往する中振り回される主人公というおかしみを味わう、状況ドタバタコメディなのだ。獣医学部や病院やフレンチレストランだったりしたその舞台が、今回たまたま「ミステリ」であり「鉄道」であったに過ぎない。
日置は単なる「快楽殺人者」であるとされ、月館十蔵が過去に日置の父を死に至らしめた顛末は「不幸な事故」と明言される。あの事故でそももそ十蔵が傍若無人な態度であったこと、そして突き飛ばした相手の状況を確認し、しかるべき処置をとるという社会人として当然の常識的対応をすれば状況が全く違っていたであろうことは顧みられない。ロワン・ディシーの面々がオーナーの暴虐をため息をついて甘受するように。
物語は「常識的な振るまいをする人間」に犯人役を配し、マニア達、奇人変人たちにどこまでも温かい視線を注ぎ、擁護する。他人に巨大な面倒と心理的疲労を負わせることを歯牙にもかけず、「鉄道っていいよ!」と子供のように輝く瞳で訴える彼らの姿はまさに、佐々木倫子さんが過去の作品で描いてきた「他人を幼児的感性で無邪気に支配する変人」というテーマである。
つまり、綾辻行人さんは佐々木倫子さんと鉄道マニア世界に「奉仕して」このミステリを書いたのだ。
恐らくこれを最も楽しめるのはミステリファンではなく、佐々木倫子ファン、それも彼女が「動物のお医者さん」以降身に着けたウンチクやリアリティを楽しむタイプのファンではなく、昔から描き続けてきた「変人に振り回されるまっとうな人間」というテーマを楽しむタイプのファンなのだろう。
★★★
おまけ。
この話、だいたいどの伏線も非常に丁寧に拾われていて「ああそうか」とわかるようになっているけれど、一ヶ所だけ私がわからないところがあって、鉄道マニアたちが空海をめぐってトムとジェリー的喧嘩をしている中で日置が「僕には資格がないみたいだから」と言う場面である。
この「僕には資格がない」というのが、
「自分は本当は鉄道マニアではない」という不用意な失言なのか、
「自分は殺人者で空海と親しく付き合う価値のある人間では本当はない」という良心のつぶやきなのか、
「自分をあの連中と一緒にしないでくれ」という内心の怒りなのか、
読者が勝手に想像するべき場面なのか、作中の描写で一意に解釈できる部分なのかも含めて、未だに解釈が難しい。誰かこれについていい意見を持っていたら、教えてもらえないでしょうか。