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『日本らしい自然と多様性』 子ども相手だからこそ遠慮なく本気で訴える
『日本らしい自然と多様性 身近な環境から考える(岩波ジュニア新書)』,根本正之著,岩波書店発行,2010年
気が向いた時に、岩波ジュニア新書というレーベルから、その時の興味を惹かれたタイトルを読んでいる。
岩波ジュニア新書は、文字通り、中学生高校生を対象にした新書なのだが、ありとあらゆるジャンル・領域のテーマを、その分野の第一人者の中で中高生向きの平易な文章を書けるタイプの人が執筆しており、大人が読んでも手応え十分、粒揃いの新書レーベルだ。
「出張サラリーマンが新幹線の中で読み切れる程度に噛み砕いて」みたいな忖度がどこにもない、内容の濃い岩波ジュニア新書だが、その中でもさらに「これはもはや、大学で扱うような学術書では……?」と言いたくなるほどの密度で、ガッチリと話を展開してくれるタイトルがある。
この本はそういう「本気タイトル」のひとつだ。
内容は、「植生」という視点から、人間と自然の関係性、特に日本という地域でのそれを真正面から講義していくものである。
あまりに容赦ない講義なので、文章は平易でめちゃくちゃ読みやすいにも関わらず、ネットレビューには「子供向けの本と思ったのに難し過ぎました……」という大人たちの呻吟が累々と転がっている有り様だ。
え? 偉そうに言うお前はどうだったんだって? 訊かないでいただけると助かります。正直……キツかったです……。
これ高校生が本当に読めるの?と思いたくなるけど、よく考えたら鉄道ファンの小学生だって普通に大人向けの鉄道雑誌や専門書を読んでたりするし、興味がある分野なら全然問題なく読めるのだろう。
そして著者は、読者を一切子供扱いせず、本気の熱量をぶつけてきている。
★★★
この本で、私が一番意識をもっていかれたのは、「自然と調和した文化を築いた日本人」という我々のプライドをくすぐってくれるステロタイプが、厄介な問題を抱えていることへの、詳細な説明である。
日本人は自然を愛し尊ぶと言われるが、この時自然という言葉が指しているものは、特定の存在に焦点を合わせたものである。すべての生物種、生態系を尊重するという価値観とは、かなりかけ離れたものなのだ。
花見と言えばサクラだけをひたすらに愛で、園芸の寄せ植えを作れば人目を引く美しい草花だけを選んで植える。名前のついた神木や巨樹を敬う一方で、普通の樹木にはさほど関心を寄せない。愛着のある「自然」への思いやりは時に経済原理を蹴散らすほどの威力をみせる一方で、「雑草」と認知したが最後ことごとく駆除排除してしまう。
「雑草という草はない」とは、牧野富太郎や昭和天皇の言葉として人口に膾炙しているが、この言葉の愛されようは、"自分の愛する対象の外"というカテゴリが日本人の自然認識に根強く存在していることをも意味している。
よく言われる「人間も自然の一部だから、人間が自然を壊すのも自然の営みだ」という詭弁も、「何が自然かを決定するのは私だ」という傲慢さゆえに生まれるものだろう。
それが現代日本人の「自然の愛し方」であるという著者の指摘、いや沈痛な叫びは、重々しく響いてくる。
なぜ著者がそれを沈痛に語るかといえば、本来日本人には農業体験の積み重ねと、地域固有の自然個性を熱心に繊細に観察してきた歴史があったからである。それはグローバルな科学である「農学」ではカバーできない能力で、しかもその知恵が、農書などで下層農民のレベルまで共有されていた。
だからこそ水田を核とし、畑、原野、林に恵まれた集落という、「自然と調和した文化」が生まれたのだ。
だがその知恵は、今急速に失われていっている。
私だって、道を歩いていて同定できる野草や樹木など、十指を越えるかどうかあやしいものだ。それらの生態ともなれば、もはや霧の向こうである。
★★★
恐らく著者がこの骨太な本を書いた理由は、「自然を愛する」という概念が固まり切っていない子供達に、何とか「身近な在来植物に五感で接し、名前を覚え、生態に関する知識をごく一般的なものとして身につける」存在になってほしいという切実な祈りである。
歴史的な「地域固有の自然への観察力」を途絶えさせず、一方で「自然を自分の好みで選り好みして一部だけに焦点を合わせる」という陥穽を回避した、古くて新しい自然観を身につけてほしい。
この本を読むと、その祈りに共鳴せずにはいられない。
一方で、もう到底子供とは呼べない馬齢を重ねた私でも、もしかしたら在来植物の名前のひとつを覚えるくらいのことは、できるのではないかと思う。私はシソを育てることにすら失敗した茶色の指の持ち主だけれど。