わが子に「親の理想」を押し付けていませんか
初めての妊娠と出産。わが子が乳児だった頃は、「とにかく健康に育ってくれたらそれでいい」と思っていたはずなのに、成長とともに膨らむ期待。
「周りの子に比べて、うちの子はお絵描きが下手だな」とか、「そろそろひらがなに興味を持ってほしいけど…」とか、
自分が勝手に思い描いた理想像と乖離したわが子をみて、焦ったり、プレッシャーを与えすぎてしまう場面はないだろうか。
今日は、そうした子育て中の不安や焦りを手放すためのヨガ哲学を紹介したい。
育児中のイライラ! 原因は、●●にあった?!
「子育ては親の思うようにいかないもの」と頭では分かっていても、子どもに対して「どうして言うことを聞いてくれないの?」「わざと怒らせようとしてるのか?」とイライラが止まらない場面もあるだろう。
私たちは子どもを叱るとき、怒りの原因は、「困った行動ばかりする子ども」にあると思いがちだが、実は「怒り」そのものを作り出しているのは、親である私たち自身の心にある。
「サンスカーラ」という言葉をご存知だろうか。あまり聞き慣れない言葉かもしれないが、ヨガの心理学の用語で、「潜在的な印象」を意味する。
ヨガ哲学・瞑想講師である岡本直人さんの著書『ヨガの教えと瞑想 Kindle版』では、
と説明されている。
子育てを例に考えると、
・「勉強ができて欲しい」
・「スポーツ万能であってほしい」
・「友達がたくさんいて、人気者出会ってほしい」
などの願望や期待などが「サンスカーラ」に含まれる。
前出の岡本さんによれば、
とのこと。つまり、サンスカーラこそが、私たちの心のモヤモヤ・苦悩の大部分を占めているということ。
これは、子育てにもすごく当てはまる。
子どもにイラっとする時は、たいてい「自分の期待値に達していない」という親の主観である場合がほとんどではないだろうか。
「次、頑張って1番になったらいい」という実母のことば
ここでは、私の「母の言葉」を例に、サンスカーラについてもう少し深掘りしていきたい。
昨年の子どもの運動会での話。私の息子(年中)がかけっこで最下位になったことがあった。
5歳という年齢は「勝ち負け」に敏感なお年頃。「少し落ち込んでいるかな?」と心配しながら帰宅をすると、突然息子が泣きながらこう話した。
どうやら、息子は運動会でスタートの時にならすピストル音が苦手で、本来の力を発揮できなかったらしい。運動会の間はグッと堪えていたけれど、自宅に着くと突然、悔しさが溢れ出たように見えた。
ひどく落ち込む長男に対して、私は「大丈夫だよ。ピストルの音は大きいから怖いよね。それでも怖いなか、最後まで走って偉かったね」と声をかけた。
ところがその横で、実母はすかさずこう言い放ちました。
何気ないひと言だが、私は実母の言葉がずっと胸に引っかかっていた。
物事を「親の主観」でジャッジしていないだろうか
「次、頑張って1番になったらいい」というフレーズには、「かけっこは1番になってこそ素晴らしい」という価値観(サンスカーラ)が読み取れる。
もちろん、実母にそのような意図はないのは百も承知だ。落ち込む孫をなんとか励まそうとして自然と出た言葉なのだろう。
しかし「かけっこの順位」という結果に触れてしまうと、どうしても「最下位でゴールした長男は、実母の期待値に達していない」とモヤモヤが止まらなかった。
「次、頑張って1番になったらいい」という言葉は、実母が過去に作り出した「サンスカーラ」である。
そして、その言葉にモヤっとする私自身も、心のどこかで「かけっこは早い方がいい」というサンスカーラを持っていることに気づき、ハッとした出来事だった。
「結果よりも過程」に目を向ける子育てがしたい
本音を包み隠さずに打ち明けるなら、私だって、かけっこで長男が1番になったら、素直に嬉しい。だが、親である私がその気持ちを長男に伝えることは、彼の心にトゲとなって刺さることは容易に想像できる。
だからこそ、親は自分自身のサンスカーラ(子どもに対する期待や願望)に対して、無自覚であってはならないと思う。
無意識に子どもに「トゲ」を刺すことがないように、自分のサンスカーラとしっかり向き合うこと。
自分の中にある「子どもの理想像」と、目の前にいる子どもは全く別物であるとしっかり認識することが、大事ではないだろうか。
実践するのは難しいが、「結果よりも過程」に目を向ける子育てを大事にしていきたい。