もう自己肯定感が低いとは思わない
自己肯定感と呼ばれるものが、自分はどうやら低いようだ、と気がついたのは、10年くらい前でしょうか。
ちょうど、自分軸で生きる(他人軸でなく)というような言葉が出始めた頃。
当時の私は、他人の望みが知らぬうちに自分の望みにすり変わる癖に悩まされていました。
自分の望みだと思って張り切ってやるものの、すぐに疲弊し、「あ、これは母の(あるいは亡くなった当時の夫の)望みじゃん!」と気づく、ということを繰り返していたんです。
それを自覚したのはだいぶ前なのですが、自覚はしていても繰り返してしまう…自分の望みと他人の望みの境界線がわからないのです。
今もうっかりするとその傾向はありますが、その頃はそれはもう自然に、人が自分に期待していることを感じ取って、自分の望みのように変換してしまっていたのです。
インディゴチルドレン、と誰かに言われて、書物を読み、ああ、確かに、と思ったこともありました。
次は、エンパス(共感力が高い人)と誰かに教えられ、ああ、確かにその傾向はあるかも、とも思いました。
直近ではハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)という言葉を知り、その特徴もかなり自分に当てはまるなぁと思っています。
これらの用語を知り、その特徴を知ったことで、対策は取れるようになりました。
ただ、対策は、あくまでも対策でしかありません。
しかし、当時の私は、性質は変えられないと思っていたので、対策を取って自分の性質と仲良くなるしかないと考えていました。
その後、自己肯定感という言葉をよく聞くようになったことで、私は考えを改めました。
自分が持っている性質の多くが、自己肯定感が低い人によくあることだと知ったと同時に、自己肯定感は上げることができることも知ったからです。
じゃあ、自己肯定感ってどうやって上げればいいの?
ものすごくしっくりきたのが、私には動作学でした。
*
動作学で考えれば、自己肯定感が低いという状態は、同じ前提で同じ行為を繰り返したことによってそれが定着しただけ。
逆にいうと、前提を変えて行動を変えれば変えられるんです。
じゃあ、前提を変えて行動を変えるって一体どういうこと?
私が動作学を通して学んだのは4つのステップでした。
1 自分の価値観・感性を知る
2 自分の価値観・感性を信じる
3 自分の価値観・感性を行動に移す
4 1〜3を実践した自分を褒める
言葉にするとシンプルで簡単なのですが、1の自分の価値観・感性を知るというのは、将来こうありたいという大きなことから、今これをしたいと感じているという小さなことまで含んでいて、自己肯定感とやらが低かった私にはこれが難しかった…
というのも、その頃の私は「何でもいい」しか出てこなかったから。
「今日のランチ、どこ行く?」
「どこでもいいよ!」
「お飲み物は何になさいますか?」
「(…何でもいいなぁ…皆ビールなら同じでいいか)じゃあ、ビールで」
「今度のデート、どこ行きたい?」
「え、どこでもいいよ?」
当時は、本当に何でもいいと思っていたんです。
自分には欲がないのだと思っていたくらい。
でも、実はそれ、「本当はこうしたい」という心の奥の囁きをずっと無視した結果、心の囁きを受け取れなくなっていたんだって、動作学を実践する中で気がつきました。
たとえば、今度のデートでは、あそこに行ってみたいけど、混んでいるかもしれないし、彼の方はたまの休みはのんびりしたいかもしれないし、そもそも何が何でも行きたいわけじゃないし…
そんなふうに、したいことが出てきても、それを打ち消す思考が次から次に出てきて、結果として、行くことはおろか、行きたいと伝えるということさえしないでいるうちに、その部分の脳のネットワークが鈍化しちゃっていたのです。
そのネットワークを回復すると同時に、その望みを信じて行動に移す、ということにもまたハードルがあったのですが、ともあれ、1、2、3、4を地味に実践し続けた私は、今、自己肯定感が爆上がりしたどころか、この4つのステップを日常で実践し続けることが自分を愛するということだ、と思うようになりました。
もちろん、動作学だけが「正解」とは思っていません。
ただ、心理とか、精神世界とか、愛とか、自分らしく生きるとか、めちゃくちゃ興味があるんだけど観念的すぎて自分の血肉になかなかできなかったことについて、理屈でその仕組みを理解させてくれ、血肉にできるような行動を促してくれるのが、私にとっては動作学ということだと思います。
動作学と出会ってから今は7年くらいかな。
私はもう自分の自己肯定感が低いとは感じないし、ようやく、自分のことを愛していると言える気がします。
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