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私のバケツ

昨晩から降り続けている大雨が未だに窓を打つ音がする。こんなにざあざあ、バツバツ音を立てながら降る雨は久しぶりな気がする。雨はあまり好きではないけれど雨が窓や屋根に当たる音は好きだ。不思議な気持ちになるけどなぜか落ち着くような音。

雨の音をききながら、あ、娘のバケツ、と思った。確かこの前外で娘達が遊んだあとそのまま出しっぱなしになっていたような気がする。傘を差して外に出るとやっぱりバケツは外にあった。そして一日降り続いた雨でバケツはいっぱいになり水があふれていた。いいな、と思った。

小さなバケツは一晩の雨で中がいっぱいになって、そのまま降りしきる雨で水はあふれかえっている。いわば、満たされている。私の心はどうだ、いつまで経っても満たされなくて、いっぱいになることはない。いつも何かしら不安で、不満で、怖くて、自信がなくて。何年も何年も満たされない。

少し前にツイッターでりゅうちぇるさんの言葉がバズっていた。自分のコップは自分で満たしてあげるというものだ。その言葉を見て、私の心にも刺さるものもあった。それと同時に、私のコップは自分で満たすことはできるのだろうかと疑問が湧いた。

自分を愛するってすごく難しい。自分のいいところを挙げてといわれても辟易してしまう。思いつかないから。思いついてもどこかしらで否定をしている私もいる。そんなん自意識過剰じゃない?って。自分で自身を持ちたい部分があってもなにかしらの今まで経験でそれは違う、だってあのときああだった、あんな風に言われたと何かを思い出して立ち止まる自分もいる。私は自分のことを他人に否定されるのがとっても苦手だ。言葉にして指摘されるといい歳して泣いてしまったりびっくりするくらい落ち込んだりする。その指摘を学びにとか、その経験を糧に、とかできないのだ。ただただ落ち込むしそのまましばらくあがってこない。傷つけられたとか否定されたとか、人のせいにしたらとっても楽だ。だけど、それ以上に、とにかく出来ない自分が嫌になってしまって、とにかく人からだめだと思われる部分がある自分に悲しくなって立ち直れなくなってしまう。よくないのは分かっている。だけど方法が分からない。前向きにポジティブに生きる人達に憧れたりもするが私はいつもめそめそ日陰の人間だ。

私もいつかは日向に出てみたい。本当は自分のことを大好きになりたい。だけどその方法がわからない。かちかちにかたまってしまった私の頭と心はいつか温かくやわらかく自分のことを抱きしめることができるのだろうか。私の心のコップ、人よりも欲深いからバケツかもしれない、が自分の愛で満たされる日はやってくるのだろうか。

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