将軍になる気ある?【足利尊氏・願文】
尊氏「ありません」
(2000文字ほどの記事です)
はじめに
相変わらずちびちびと古文書を読む勉強をしています。
勉強してるからには自分が読んだ一次史料から記事を書きたいという思いもあり、noteの投稿は時代が近い江戸末期・明治の記事のものが多いです。
たった150年ほど前の古文書で四苦八苦しているのに、700年も前の南北朝時代のものなんて読めるわけない・・・と思いながら、この前なんの気なしに足利家の書状を見ていました。
その足利家の中でも尊氏といえば字が汚・・・いやいや、独特な字を書くことで有名です。
しかし、その中でも読めるものが1つだけありました。
尊氏が清水寺に奉納した願文です。
願文とは、名の通り神仏に祈願するときに作成する文章です。
人に宛てたものではないからか、難しい漢字や専門用語などもなく、私でも読めました。
噂通り、線は細いし字の大きさも行間もバラバラで、「何の計画もせずに書いたでしょ!」とツッコみたくなるくらい後半の文章はめちゃくちゃ詰まって書かれていますが・・・
内容がすごく興味深い!!
11行と短いので全文紹介したいと思います!
いつもはこちらで勝手に句読点などを付けるのですが、尊氏ワールドを味わっていただくためにできるだけそのままの文章にしました。
読んでみよう!
この世は夢のようなものだ。
尊氏に道心(=道徳心)をくださり、
来世も助けてください。
うん?一人称尊氏?
書状ではあまり見ませんが、願文では名乗るのでしょうか。
早く早く出家したいです。
道心ください。
現世の幸せの代わりに来世助けてください。
道心ください、は2回目ですね。
自覚するほど道心なかったの・・・?
現世の幸せは直義(尊氏の弟)にあげるので、直義が安穏に過ごせるように守ってください。
この最後の「尊氏」という字、ぜひ本人のものを見てみてください。
尊氏さん、「尊」と「氏」の字をくっつけて1字にしてます。新しい字作っちゃってます。
自由です。
願文の背景
この願文を最初に見た感想は、
「尊氏さん漢字苦手なのかな?」
たすけ(助け)、とんせい(遁世)、あんおん(安穏)、まもり(守り)などは武家に生まれ教育を受けていた尊氏なら書けそうな気もしました。
誰かに見せるわけでもないので、気が緩んでいただけかもしれません。
そして大事なのはこの願文が書かれた月日です。
内容だけ見ると「もう十分生きたから後のことは弟にまかせる」とも取れますが、書かれた1336年8月17日、尊氏は31歳です。南北朝時代といえど、出家には若いですね。
そしてこのときの尊氏の状況は・・・
7ヶ月前に
箱根・竹の下の戦いで南朝の新田義貞を破り、
5ヶ月前に
多々良浜の戦いで九州の南朝方を破り、
3ヶ月前には
湊川の戦いで南朝のシンボルともいえる楠木正成を敗死させ、
2日前の8月15日には北朝の光明天皇が践祚しています。
まさに権力が尊氏に集まっていく時期でした。
尊氏さん、
これからってときじゃないの!!
実際、この願文の3ヶ月後に室町幕府の始まりとされる建武式目が制定されており、さらに2年後には征夷大将軍に任命されています。
「とにかく早く出家させてください。今世はもういいから来世助けてください。そして道心を、道心をくれ・・・!」
将軍になるかもしれないという時期に、武家の棟梁はこんなことを考えていたんですね。
ちなみに1335年12月(この願文の8ヶ月前)にも勝手に寺に籠り出家しています。
直義や高師直らの説得により、寺から出て戦う覚悟を決めたようですが、本当に出家したかったようです。