牛乳が飲みたい!【ハリス】
江戸時代末期、
「牛乳が飲みたい!」
と牛乳を飲む文化がない日本で、牛乳を求め続けた者がいた。
日米親好通商条約を求めに下田(静岡県)に来ていた商人、ハリスだ。
1856年、彼は玉泉寺(静岡県下田市)に滞在することになったが、寺に入ってすぐ牛乳を所望した。
アメリカと日本の食生活の違いとストレスから消化器官を壊したため、大好物だった牛乳を求めたそうだ。
当時通訳だった森山多吉郎(後の栄之助。プチャーチン、ペリーが来日した際の通訳として有名ですね)は下田奉行に相談し、奉行所の井上清直と岡田忠養(ただやす)は幕府に報告書を提出。
その名も
「牛乳の儀に付き滞留の官吏へ及び應接候書付」
か、堅い・・・。
以下、「牛乳の儀に付き滞留の官吏へ及び應接候書付」に記載してある森山とハリスの会話。
(森山さんのセリフは、森山さん自身の意見というより奉行所の考えを表しているものと考えた。)
最後の会話に出てきた「隣国」とはどこの国のことだろう。韓国か、中国か。
どちらにせよ、これは森山の嘘だと思う。
また、別の説では推古天皇の時代に百済からヤギ(羊だったとも)が献上されたのが始まりというものもある。
これらを読むと、「下田の近辺にいない」というのを伝えたかったのか?そしてとにかく早く諦めてほしいかったのだろう。
森山とハリスの会話の続き。
ハリスの牛乳に対する信念がすごい。
そして2年後の1858年、ハリスは条約締結のため下田から江戸に出ていたが、体調悪化のため下田に戻る。
そしてまた「牛乳をくれ〜」攻撃開始。
しかし病気は治らず、危篤状態に・・・。
そのうち幕府側も、「日本でハリスが亡くなるということは避けたい。牛乳を飲んで本当に元気が出るなら・・・」と協力する姿勢を見せ始める。
ハリスのために奮闘する町民たち。
その結果、広い範囲(白浜村、蓮台寺村、大沢村、落合村、青市村、馬琴村)から牛乳が届けられ、ついに・・・。
1858年2月。
ハリス「牛乳だ〜!!」
ハリスは牛乳をゲットした!
日本乳業協会によると、牛乳の量は約1600mlで、代金は数千円~1万円以上。
この出来事から、彼は日本で初めて牛乳を買った人物だと言われている。
ハリスは牛乳の効果なのかみるみると体調が回復し、条約締結のためまた江戸へ戻っていったそうだ。