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推しの出版社が紹介してくれる出会い:古舘伊知郎『伝えるための準備学』
こんにちは、さちこです。普段は、外国の方に第二言語としての日本語を教えています。どうぞよろしくお願いします。
「音速の貴公子 アイルトン・セナー!!(絶叫)」
この言葉でセナを知り、 サンパウロを訪れた際にはお墓参りに行き、 アイルトン・セナという名を冠した高速道路も通った。
一度聞いたら忘れられないこのフレーズを生み出したのは、かの古舘伊知郎氏である。テレビ朝日アナウンサーを経てフリーとなり、プロレスやF1などの実況中継、「夜のヒットスタジオ」「NHK紅白歌合戦」などの歌番組の司会、「報道ステーション」のアンカーマンなど、昭和の終わりから平成にかけての多彩なご活躍は現在にも増してまさに破竹の勢いだったのだが、令和な方々もご存知だろうか。
そんな古舘伊知郎氏ですが、正直に申し上げると、(大の)苦手でした。
氏の代名詞であるマシンガントークが、のんびり田舎育ちの私には早すぎて
ついていけなかったのです…。「報道ステーション」が始まる頃にはすっかり苦手意識の出来上がっていた私は、評判の「報道ステーション」もあまり見ませんでした。今思えば、折角タイムリーに見られる時期に居たのに、本当に勿体ないことをしました。
その古舘伊知郎氏は、先日『伝えるための準備学』を上梓された。
しかも、私の推しの出版社、ひろのぶと株式会社から。
推しから出版されたのである。買うしかないではないか。←読む前の私
推しが出版してくれたので買って読めて、本当に良かった。←読んだ後の私
人は見えている部分が全てではない。
きっと多くの人が理解しているだろうことを、
私はいい大人になった今でもうっかりするとすぐに忘れてしまう。
毎日笑顔で楽しそうにご機嫌に過ごしている人を見ると、我が世の春を謳歌しているんだろうと思ってしまうけれど、そんなわけはない。
いや、そんなわけある人もいるけれど、
何かのきっかけで話を聞いてみると、多くの人が何かしら抱えつつも、それを見せずに振る舞っていることがわかって、頬をエア叩かれる。
古舘伊知郎氏の『伝えるための準備学』を読むと、
きっすいの話術の天才に見える氏がこれまで見せてこなかった天才に値する準備をし続けてきたことを目の当たりにできる。
その凄まじさに恐れ慄いてしまったけれど、同時に勇気と元気ももらった。
準備をしているからこそのあの姿なのだ、
自分も準備をすれば、あれほどの姿にはなれないとしても、
それなりにはなれる(んじゃないか、知らんけど)と。
例えば、「『パワポの奴隷』になってはいけない」というお話。
聞き手の印象に残るプレゼンをするためには、
出来うるかぎりの資料を集め、言葉を練り、パワポやカンペを作り込む「用意」を行なった上で、
その用意したものを削るという「準備」、
さらには準備したことすらも頭の片隅に追いやるという「準備」が必要だという。
なぜなら、「用意」しただけで本番に臨むと、パワポに沿って進むだけの予定調和にとどまってしまい、行間に宿る個性やなんとも言えないニュアンスを発揮できなかったり、あるいは、不測の事態に対処できずに悔いが残ったりするからだという。
そして、「捨てるなら最初からいらない」ではなく、最終的に捨てることになったとしても、まずはしっかり用意・準備することが大事であると、なぜなら用意していないと捨てるものも捨てられない、さんざん用意・準備するからこそ捨てるという選択肢が生まれるのだと釘をさす。
詳しくは、古舘伊知郎『伝えるための準備学』で是非読んでほしい。
「『パワポの奴隷』になってはいけない」というお話部分については、こちらでも読める。
「『パワポの奴隷』になってはいけない」というお話を読み、
私事ながら、授業用に作成してきたパワポの試行錯誤の記憶が蘇った。
教員に成り立ての頃、分単位で決めたスケジュールに沿って全部を教えようと躍起になっていた。
目の前の学生一人一人が違う以上、自分の予想通りに進むわけがないのに。 用意したものも捨てたくなかった。
皆の役に立つはずと思って選んだものたちばかりだったから。
その独りよがりにようよう気付けて後、できるだけ万端用意はするけれど、
授業で絶対抑えるところとそうでないところを分けるという準備をし、
授業開始前には「予定通りでなくてもいい」と自分に声をかけ、
その分、学生の様子を注視するようにし、
その様子に合わせて、授業をするよう心がけるようになった。
この方法は、自分の経験を通して辿り着いた方法だが、
古舘氏が書かれているのを読んで、
自分が辿り着いた方法は間違っていなかったのかもと思え、
嬉しくなり、自信も持てた。
古舘伊知郎『伝えるための準備学』を読むと、
ただの天才に見えた古舘伊知郎氏が、
それまで見せていなかった凄まじい準備を見ることができ、
納得の天才だと知ると同時に、
苦手な人ではなく、尊敬する人、大好きな人に変わった。
古舘伊知郎氏がそういう人であると教えてくれた推しの出版社、
ひろのぶと株式会社には、感謝感謝なのである。
(お読みくださり、ありがとうございました。)