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【四章】少女の事件簿

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ここでは戦後の気になる少女や若年女性の重大事件を無期懲役事件を中心にまとめています
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記事一覧

札幌両親強盗殺人事件 I.M(19)

少女の無期懲役事件でネット上でもそれなりに有名な事件だが発生から30年以上経ち、間違った情報も散見されるので当時の新聞記事から『争点と認定事実』『量刑の理由』の一部を引用し、ネットには出回っていない写真についても簡単にまとめてみた。 事件1991年1月26日に札幌市で道庁職員Iさんとその妻が地中に埋められた車内から遺体で発見され、Iさんの長女のM(19)と同棲していたプロダクション会社社長のY(24)が死体遺棄の疑いで逮捕された。 前年11月22日に共謀の上で両親を刺殺し現

父殺害のY(20)と同姓愛のR子(18)

「私が一人でやりました」取り調べではお互いが単独犯行を主張した若い女性二人の事件は、少年鑑別所で知り合い同性愛関係になり出所後も交際を続け殺人事件を起こしたものだったが、かばい合う二人を当時の新聞記事では『美しい友情』と記しているあたりに同性愛の社会的な理解が得られていないと感じた。下記に事件の概要を記す。 青森市実父箱詰め殺人事件とは青森市で昭和29年9月3日に国鉄職員だったKさんが訪れた身内の者に、カンナ用のくず入れ箱でうつ伏せで死んでいるのを発見された事で発覚した。

神戸市垂水区の強盗団I子(17-18)

四人組による強盗事件神戸市垂水区平野村(編入により廃止)で昭和22年4月20日の朝6時に、はり師をやっている夫婦がサルグツワをはめられ手足も縛られて布団に巻かれて死んでいるのを訪れた近所の人が発見し明石署に届け出た。 部屋を荒らされていて、遺体に目立った外傷はなかったので布団で巻かれた事による窒息が死因と思われた。 事件発覚から5日後に三宮自由市場付近を徘徊している若者4名を午前10時から午後3時までの間に逮捕 F(24)、M(21)、K(23)そしてその中には和歌山生まれの

大阪オリオンホテル事件 E子(19)

昭和29年5月23日、大阪ミナミのオリオンホテルで三角関係のもつれから若い男が殺害された事件で二日後に逮捕された当時19歳の少女と愛人に無期懲役が求刑された事件についての記事になります。 事件E子(19)と殺害されたS(24)は婚約関係にあった。 あったのだが、E子はもう一人の男I(33)とも関係を持っていた。 事件前日の22日にも逢引し、Iから「三角関係に耐えられない」と言われていた。IはなんとかE子を自分だけのものにしたかったし、板ばさみのE子が悩んでいてSよりもIに気

恋の終着は血の海 T子(20)

発見した遺体は息子だった昭和34年12月4日朝、熊本県山鹿市大宮神社の墓地で牛乳配達の途中にHさんとHさんの四女は草むらに黒いものが横たわっているのを発見した。 「かぁちゃん、あれはなんな?」 近づいて見ると若い男が血まみれで死んでおり、びっくりして「派出所に届けなきゃ…」と動揺していたが、すぐに四女が「このサンダル?」といい、まさかと顔をのぞきこんだら昨日から家に帰ってない理髪店見習いの長男のK(21)でヘナヘナとその場に座り込んでしまった。 すぐに刑事が現場に駆けつけたが

戦後初の無期懲役確定の少女(19)

逮捕された少女は妊娠中昭和46年4月22日午後5時半ころ、北海道旭川の旅館で殺人事件で手配中の十代のアベックが逮捕された。少年は元バンドマン(18)、タイトミニ姿の少女(19)は妊娠中だった。 金員を奪うために少女の実母を殺害し逃走中だった。 二人は旅館で身を隠すようにし外出せず、「新聞を見せてほしい」とイライラしたりとどうにも不審だったために、近くの交番に通報、新聞で見た手配中の犯人の着衣とも特徴が似ていたために旅館の経営者は交番に駆け込んだ。 事件昭和46年4月21日に

祖母の遺体と同居 少女T.S(18)

最近Kさんを見かけない昭和50年12月29日、北海道の芽室町で近所の住人から「最近Kさんの姿が見えない。孫娘が何度も農協に来てお金を引き出す。家の様子もおかしい」と帯広署に届け出があった。 同署の刑事4人でKさん(77)宅に行くと孫娘のS子(18)と愛人のF谷(21)がいて、S子をお金の引き出しの件で問い詰めると、はじめは「東京のおばあちゃんに送金してる」としらをきっていたが、刑事の「送金伝票を見せろ」の言葉にワっと泣きじゃくって「おばあちゃんを殺した」と自供し、押し入れの中

十代アベックのタクシー強盗殺人

夜に鳴り響くクラクション昭和41年1月25日、神奈川県伊勢原町(現伊勢原市)の大山阿夫利神社の参道から少しはなれた林道で夜の10時頃に停車したタクシーからクラクションが鳴り響くのを近くの旅館で手伝いをしていた女性が不審に思い通報。 同じようにクラクションを聞いた近所の主婦が血まみれになりながら座席のうしろに寄りかかり、必死に片手でクラクションを鳴らし救いを求めて虫の息だった運転手Iさんを発見し、病院に収容されたが全身を28箇所も刺されていて死亡が確認された。 タクシーのタコメ

無理心中装い家族4人毒殺 R子(19)

事件「母と弟三人が毒を飲んで一家心中したの」 昭和31年3月9日夜8時40分頃に東京都江戸川区の小松川署管轄の駐在所に届け出がありYさん方に署員が駆け付けた所、母(46)と三男(8)は既に亡くなっており、長男(17)と次男(12)も虫の息で近くの病院に運ばれたがまもなく亡くなった。 現場の状況に不自然な点が多く、任意で取り調べをした所、この家の長女で届け出たR子(19)が日付が変わった深夜1時頃にあっさりと自分がジュースに毒を入れた事を自供し少女が家族4人を殺害する大事件とな

米兵との歪愛 最年少死刑判決 S子(20)

S子仙台市原ノ町若竹。ここは敗戦後に進駐軍が駐屯し、宮城県内だけでも最大で1万5千人の米軍兵がいたが、昭和27年の講和条約発行後も駐留軍と名を変えて昭和32年11月に返還されるまで、米軍基地として残っていた。 S子の家庭は当時としては裕福な方で不自由なく生活していた。高校卒業後は洋裁学校にまで通わせてもらっていたが、昭和29年11月頃には通わなくなり家出し、同年末頃から仙台市内で米兵相手の売春婦として生計を立てていた。 【刑資203】 米兵ブーンとの出会い昭和30年7月に一