札幌両親強盗殺人事件 I.M(19)
少女の無期懲役事件でネット上でもそれなりに有名な事件だが発生から30年以上経ち、間違った情報も散見されるので当時の新聞記事から『争点と認定事実』『量刑の理由』の一部を引用し、ネットには出回っていない写真についても簡単にまとめてみた。
事件
1991年1月26日に札幌市で道庁職員Iさんとその妻が地中に埋められた車内から遺体で発見され、Iさんの長女のM(19)と同棲していたプロダクション会社社長のY(24)が死体遺棄の疑いで逮捕された。
前年11月22日に共謀の上で両親を刺殺し現金や預金通帳などを奪い委任状を偽造して400万以上を引き出していた。
裁判の末にMは92年3月29日に求刑通りの無期懲役の判決を受け控訴するも後に取り下げて確定。
Yは求刑死刑で無期懲役判決を最高裁まで争い99年12月16日に上告棄却で確定した。一審は分離公判だった。
【92年3月29日読売新聞北海道版夕刊】に判決要旨が記載されている。
争点と認定事実
①動機
M「財産目当てでY提案。Yの暴力で逆らえなかった」
Y「両親と仲が悪かったMが提案。会社は順調だった」
検察「会社の経営が悪化したYが財産目当てで提案」
裁判認定「会社経営が悪化したYが財産目当てで敢行したとみるのが自然」
②計画
M「発案計画共にYからでMは最後まで信じなかった」
Y「二人で計画した。殺害方法など積極的なのはM」
検察「発案はYだがMも同調し計画を練った」
裁判認定「Yの主導で計画が進められMも同調したので共謀が成立する」
③実行
M「Yに強く促され包丁を投げたが殺意はない」
Y「同時に刺した。Yは躊躇ったがMに促された」
検察「Yが父親をMが母親を同時に刺した。殺意はあった」
裁判認定「Mが母親を刺すような動作をし包丁を手放したのは疑いがなく強盗殺人が成立する」
Mの量刑の理由
『会社経営の危機から一攫千金を狙ったYに愛するがゆえに追従したのであるが、身勝手の極みである。奸智に富んだ計画に基づき、Mが睡眠薬入りのお茶を父親に飲ませているうえ、Yによる殺害の態様も冷酷残忍なものである。尊い生命が奪われ泥土まみれのまま遺棄されている他、財産的被害も多額であるなど悲惨かつ重大であり地獄絵図と形容しても過言ではない。両親の無念さ親族の心痛も察して余りある。不合理な弁解をろうして強盗殺人を否認するなど反省の態度も十分でなく、社会に与えた衝撃も甚大であるなどMの刑事責任は極めて重い。他方鑑定によるとMには責任能力に影響しないが、神経症的性格または依存症人格障害が認められ、Yの支配や影響を受けやすいのであって、Mは追従的役割を果たしたに過ぎず、強盗殺人以外の罪は認め後悔し、両親の冥福を祈り、修道尼として神に仕える事を希望しており、本件犯行時には19歳の大学生であり、前科前歴もなく、友人らから減刑の嘆願書が提出されていることなどを総合考慮すると無期懲役が相当である』
I.Mの写真が掲載された週刊誌
この事件のI.Mは何故か重信房子の若い時の写真が使われていることが多い。他にも名古屋アベック事件の加害者少女が永田洋子になっていたり、関光彦がY江N人になっていたりするのだが、Googleの画像検索で関連画像でヒットしてしまう事が理由なのだろう。
私が調査した際に当時の週刊誌に色白で体育座りしてすらりと長い足の目線ありの写真が何誌かに掲載されたと記憶している。
そのうちのひとつが【FRIDAY92.2.14】
I.Mも確定から30年が経とうとしている。法務省公表の無期懲役囚仮出所の状況も気にしておきたいと思う