戦後初の無期懲役確定の少女(19)
逮捕された少女は妊娠中
昭和46年4月22日午後5時半ころ、北海道旭川の旅館で殺人事件で手配中の十代のアベックが逮捕された。少年は元バンドマン(18)、タイトミニ姿の少女(19)は妊娠中だった。
金員を奪うために少女の実母を殺害し逃走中だった。
二人は旅館で身を隠すようにし外出せず、「新聞を見せてほしい」とイライラしたりとどうにも不審だったために、近くの交番に通報、新聞で見た手配中の犯人の着衣とも特徴が似ていたために旅館の経営者は交番に駆け込んだ。
事件
昭和46年4月21日に札幌市内のアパートにてYさん(50)が帯ヒモで首を絞められて布団の中で仰向けで死んでいるのを、訪れた知人の男性が発見し札幌東署に届け出た。
管理人の目撃情報や新聞受けに溜まった新聞の日付から同月の16日に殺害されたと見られ、現場に残された湯のみ茶碗三つや採取された指紋やメモ書きなどから16日朝に訪れた形跡のあるYさんの二女とその恋人が重要参考人として全道に手配された。22日にはその二人、元バンドマンと二女の犯行と断定され全国に指名手配され、冒頭の逮捕となった。
生い立ち
二人の生い立ちには同情できる部分がある(私個人の主観だけど)
元バンドマンの少年は生まれてまもなく父母の折り合いが悪く、母方の兄に引き取られたが、その母方の兄は病気で働けなくなり生活が困窮し、実子と死別していた別の夫婦に養子に出されたが、今度は養母が子宮がんで死去。
その後、養父が再婚した女性とは馴染めずに反抗しその女性に暴力をふるったり、高校は通うもすぐに行かなくなり不良仲間とつるんだりしていたが、これを養父に叱責された際にはじめて自分が養子と知り、ますます家庭に反発するようになった。
虞犯少年として保護観察処分になっている。その後、職を転々としナイトクラブでバンドのビアノ演奏などをしていた頃に二女と出会った。
二女もまた養子に出されていた。実は殺害されたYさんの双子として二女は生まれていたが、生まれてまもなく生活苦で旭川の農業の夫婦に出されていた。
その後は養父が転業や転居を繰り返し、友人も出来ずに転居の際に見た学校に提出する書類で自分は実の子じゃないと薄々気がつき、やがて家出などを繰り返し虞犯少年で保護観察処分になった。
非行はおさまらずについには窃盗で少年院に入所し、この時に自分が養子に出されていたと正式に知り、退院後は双子の長女Kと暮らす実母のYさん(戸籍上は他人)に一時身を寄せていたが、養子に出された事で実母に恨みを抱くようになっていた。
犯行動機
そんな生い立ちや境遇が似てる二人がナイトクラブで知り合い意気投合して距離が近くなるのは自然の流れ。
二人は同棲し、二女は少年の子を妊娠した。
しかし、この頃は元バンドマンの少年が失職した時期でお金に困っていたが、どうしても子供を生みたい気持ちが強く、Yさんに借金の申し入れをしたが断られ、結婚まで否定的な事を言われ、自分だけが養子に出されたというわだかまりもあり、殺して金を奪ってやろうと二人で企て実行した。
それだけではなく、驚くことに元バンドマンの少年の養父母も殺害して家を奪って二人で住むという計画まで立てていた。
罪名は尊属殺人、尊属殺人予備、殺人予備、強盗殺人
裁判
昭和47年4月26日札幌地裁にて二人に無期懲役の判決が言い渡された。
二人は控訴せずに確定したと思われる
※その後に二女のお腹の中の子供がどうなったかは不明。
この時代の無期懲役の仮釈放は十数年が相場なので二人は社会復帰してると思われる。またこの二女はネット上で「F」とされているが、その情報源も未入手。
【昭和46年4月21日北海道新聞夕刊から23日の朝刊】
【昭和46(わ)第369号札幌地裁】