恋の終着は血の海 T子(20)
発見した遺体は息子だった
昭和34年12月4日朝、熊本県山鹿市大宮神社の墓地で牛乳配達の途中にHさんとHさんの四女は草むらに黒いものが横たわっているのを発見した。
「かぁちゃん、あれはなんな?」
近づいて見ると若い男が血まみれで死んでおり、びっくりして「派出所に届けなきゃ…」と動揺していたが、すぐに四女が「このサンダル?」といい、まさかと顔をのぞきこんだら昨日から家に帰ってない理髪店見習いの長男のK(21)でヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
すぐに刑事が現場に駆けつけたが、落ちていた包丁で急所をエグるように刺していて、指紋も拭き取られていた状況から『二人以上の不良』『手慣れた前科者』などの犯人像が浮かべられたが、Kの母親が「まさか、またあの娘が…」と刑事に言った事から事件は解決に向かっていった。
犯人はT子
現場には女物のくつの足跡があり、女連れの不良説も出たが殺害されたKの女性関係や市内の前科者を洗っていたらなんとハタチの娘のT子が有力容疑者として浮上。同月3日に包丁を購入していたのを目撃され、4日の午前11時過ぎ(犯行の3~4時間後)に旅館で服毒をしているのを女中に発見され病院に収容されたが命には別状はなくまもなく逮捕された。
2年前の殺人未遂事件
逮捕されたT子は2年前の17歳(もうすぐ18歳の時)にHさん一家の殺害を企てていた。
Kの母親の「またあの娘が…」である。
T子は中学時代までは大人しくて目立たなかったが、中学卒業後に就職して服装が派手になった。16歳の時にK(18歳の時)と知り合い、すぐに深い関係になり、この頃から結婚も意識するようになっていたが、Kの父親からは「まだ若い」との理由で結婚を反対されるだけではなく、交際そのものもよく思われていなかった。
それでも二人は大宮神社で知られないようにこっそりと会う事を積み重ね、(この場所は訳ありのカップルの密会場所になっていたようだ)やがてT子はKの子供を妊娠したがKの父親が激怒し、Kは「親父がカンカンだ」とT子からの会いたいという連絡も無視するようになり、T子はこれにより妊娠中の不安定な精神状態も影響したのか殺意を持つようになった。
農薬を入手し、H家に米の配達に行った際に(T子の家は食料品店)、焼き魚と醤油の瓶に農薬を入れ、それを口にしたKの父親が苦しみ、一命は取りとめたがT子は殺人未遂で検挙され少年院に行く事になった。
お腹の子供は少年院の所長のはからいで中絶することになった。
わずか17歳が妊娠、殺人未遂、中絶とあまりにも重すぎる現実を短い期間で経験しどんな思いだったのか…
出所後にKとT子は再開
昭和34年11月にT子は少年院を出所したが、若さ故なのかあれだけ憎んでいたのに再びKに会いに行き関係を求めた。約一ヶ月KとT子は大宮神社で密会を繰り返したが、Kはこの時には以前勤めていた理髪店を辞めパチンコ屋に入り浸りT子から店の売り上げを持ってこさせるようになっていた。
それだけではあきたらずに、集金帰りのT子を待ち伏せて金を奪い、「半分だけでも返して…」とすがりつくT子に「黙って金をよこせばいいんだよ!」とKが突き放し、「なんでそんなにお金がいるの?」と聞くと、「まだわかんないのか!俺はパチンコ屋の女と一緒に住むのに金がいるんだよ!」と怒鳴りつけた。
この一言でT子の中で何かが弾けて、冒頭の事件を起こし2年前に失敗した復讐を遂げたのだった。
※T子が裁判でどう裁かれたかは不明です。
ご存じの方がいましたらご教示ください。
【週刊事件実話60.4.20創刊号】
【昭和32年10月3日熊本日日新聞】
【昭和34年12月4~5日熊本日日新聞】
資料提供:折原臨也リサーチエージェンシー様