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物事の本質を捉える

いつも当たり前にやっていることを疑うのは簡単ではないと思います

当たり前といっても頭では“当たり前とすら考えていないこと“
つまり考えることすらしていないようなこと。

社会の“流れ“

社会で生きていくにはみんな流れにのっています。そのほうが楽だし、それぞれの仕事に集中することもできる。

国としても多くの人にのってもらえれば、それだけ流れも大きくなる。それで税制を整えやすくなるし、共助のシステムも構築しやすくなります。

だから、日々の生活で流れに乗って生きることは決して悪いことではないと思います。

でも、たまにその流れの中で当たり前だと思っていることを疑ってみることは大切だと思います。

普段の行動していることの本質について考えてみる必要があるということです。

具体例を出して話してみます。


青信号は渡れ、赤信号は止まれ

当たり前ですが、よく考えれば、赤信号だから止まるのではなく、車が来るから止まる。これが本質です。
だから、青信号でも車が来るなら渡ってはいけませんよね。
青になった途端にスマホを見ながら横断歩道を渡るなんて流れで生きている証拠です。


信号のない地域や国にいる人にとっては車が来ていないか確認してから渡っているはずです。

当たり前が通じないところに行ってみることで疑えるようになっていきます。
そういう経験はぜひ若いうちにしてほしいです。

「当たり前」はいけないこと?


こう書いていくと当たり前と考えることはいけないことのように受け取られそうですが、僕はそうは思いません。

少なくとも義務教育段階ではきちんと「当たり前」を守れる子に育ってほしいと願っています。
当たり前をみんなと同じように学ぶことが日本人としてのアイデンティティだと思うからです。
日本の伝統や文化を守っていくためには必要なことだと思っています。

個人としても、みんなと同じことを経験しているというのは、意外とその人の人生の中で自信になるものだと思います。

⭐️おすすめ書籍「バナナを逆からむいてみたら」

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バナナをむく向きはいつも同じになりがち。こんな“当たり前“を崩してみることで視点が変わる。

物事の本質を捉えれば、普段こだわっていることは実は些細なことと気付くはず。当たり前を疑う練習をしてみてください。

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