【ショートショート】渋滞が終わらない
渋滞が終わらない。
家を出てから、もう既に20分が経過しようとしていた。
木崎自動車道、西住インターチェンジ出口から少し外れたところ。確かに普段から午前7時のこの時間の車通りは多い。だから今日私は15分も早く家を出たつもりだった。なにせ翌日に大事な会議があるのだ。今日は早く会社について準備をしようと思っていた。しかしこの有様だ。少し進んでは、ピタリと車が止まる。20分で進んだ距離といえばたったの2キロ。沿道を走っていたランナーはその異様な光景に首をずっと車道に向けたまま、さっき電柱にぶつかりかけていた。さすがに渋滞が長すぎる。私は車内モニターでニュースをつけた。
「木崎自動車道周辺では朝6時から、一般道でおよそ40キロ以上の大規模渋滞が発生しております。現在も継続しており、原因の特定に急いでいます。また状況変わり次第お伝え致します。」
おいおいおい。
思わず声が漏れる。一般道で40キロなど聞いたことも無い。ニュースはヘリからの空撮映像が流されていた。バラバラバラとヘリはアングルを上げていく。しかし一向に先頭が見えないのである。道路いっぱいに車が敷き詰められ、まるで静止画かのようにピタリとも動かない。私はさすがに上司に連絡を入れた。
「すみません、お疲れ様です。今先程家を出たのですが、渋滞に嵌ってしまいまして。車がピタリとも動かないんですよね。かなり今日は出社が遅れるかもしれません。」
上司は低い声で返す。
「お疲れ様。いやぁ実は私も渋滞に嵌っているんだ。どういうことだろうね。だがこれはもう仕方がない。くれぐれも気をつけて運転してくれたまえ。」
疲れた声の上司に、少しだけ気が楽になる。
1時間が経過した。渋滞はまだ終わらない。
外ではクラクションが鳴り響き、窓から叫び出す者が現れた。遥か後方からサイレンの音が聞こえる。サイレンが次第に近づき、サイドミラーに白いバイクが映った。
咄嗟に声をかける。
「すみません、これどのくらい続いてますか。」
隊員はヘルメットを外すと、肩をすくめる。
「誰もまだ分からないんです。先頭で何が起きているのか。事故のひとつでも通報があればこちらも願ったりなんですが。」
それからまただいたい6時間くらいが経った。
やっぱりまだ渋滞は終わらない。車の流れは先程よりもうんと鈍くなり、ハンドルを握るのもバカバカしく思えてきた。お天道様は嘲笑うかのように頭上を追い越していき、日暮れにさしかかろうとしていた。斜め前にいたキッチンカーは、もう諦めたのか道路のど真ん中で店を開き始めた。助手席からひとり、またひとりとカレーを受け取っていく。別の所ではセールスマンが車から降り、にこやかに前の車に営業をしかけている。車の間から自転車が通り過ぎる。UberEatsと書かれたリュックサックから商品を取り出すと、車の中へと手渡ししていく。少しずつ、いや加速度的に、みなこの異質な世界に順応し始めている。ヘリからの空撮は相変わらず先頭を捉えることはなく、Youtubeに配信されたライブ映像では、海外の視聴者から「CRAZY JAP(狂った日本人)」と揶揄される始末。
私含め、誰もがその異常さには気づいている。信号ももはや機能していない。ここまで進むまでも幾つか左折も出来たはずだ。だが、車が少しづつでも進んでいるという事実から、誰もが直進することを諦めきれないでいた。車を動かしているのはもはやエンジンでもなんでもなく、ドライバーのプライドと、羞恥心と協調性だけだったのである。
夜には完全に動きが止まってしまった。車から降りてコンビニへ行く者、静かにこの混沌が終わることを祈り始める者、車の上に立ち上がり煽動し騒ぎ立てる者。これほどに楽しい夜は初めてだった。
あれから数日が経った。もちろん渋滞は終わらない。
「今日は動きますかね。」
「いやぁ、動かんだろう。」
誰もが状況に慣れてしまい、騒ぐ者も居なくなった。
車の中で眠り、食事をし、生活を難なくこなしていく。
もう仕事も渋滞も問題ではなくなった。渋滞の原因は実はずっと遥か先で解決しているのかもしれない。先頭はもう動き始め、終わりが近づいているのかもしれない。
そうだとしても、たぶん渋滞はまだ終わらない。
私は車を降りて、中央線を悠々と跨ぎ、コンビニへと向かった。