心の解像度
人の感情について知ること、或いは自らの内心について思索を深めること、煩わしいですか?
私は人の感情や内面について探求することが大好きなのですが、世の中にはそうは思わない方も多いと思うので、今回は、私がどうして人の内面に関心を持つのか紹介することができたらなと思います。
解像度理論
皆さん、機能的には十分であるはずなのに、次から次へとスマホを最新機種に変えますよね。画質が良くなるから、カメラの性能が良くなるから、という理由で変える人も多いかと思います。
また、直接的な動機がそうでなくとも、画質がいいに越したことはないと思っている方も多いのではないでしょうか。
私が人の内面について関心を持つわけもそこにあります。要するに、心の解像度を高めたいのです。心の解像度を高めることができたらその人の抱く感情の微細な変化に気づくことができます。あるいは自分自身に対して敏感になります。
スポーツ中継で、お客さんの顔にまでしっかりピントが合うのと要は一緒です。高い解像度で見るからこそ、そのような細やかな部分まで見ることができるのです。
この解像度というのは、内面だけでなく、物事全般に関していえることなのだと思います。
テニスに関する知識が豊富な人であれば、対戦相手のフォームを見ただけで、どのコースにどの球種で打つか即座に判断することができます。
解像度を上げることによって、見えないものが見えるようになるのです。
ポートレート理論
解像度を上げるという話をしましたが、世の中のすべての事象に対して解像度を上げるには人生は短すぎます。広く浅くで行くとせいぜいiPhone6くらいの画質で生涯を終えます。
私はそれよりも、自分の関心のある狭い分野の画質を高める、いわばポートレート的に物事の探求をすることが大切なのだと思います。
いくら鮮やかな色であったとしても、主張の激しい色が重なり合うとうるさいですよね。それと一緒で、手当たり次第に首を突っ込むのではなく、自分がこれだ!と決めた者に対して腰を据えて対峙することが大切なのだと私は思っています。
裏話
最近家でお酒を飲まないので、先日友人と旅行に行った時に買って余ったハイボールが冷蔵庫の中で発酵しかかっていました。
なので私は昨日、雨の中一人でジムビームハイボールを飲んでいたのですが、その時雨でメガネが濡れてうざくて、外したりしていたときになんとなく解像度という言葉が浮かんできて、今日の記事はこれにしようと思いました。
ハイボール万歳。
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