見出し画像

洗脳されたい欲求って、楽したい欲求なんだろうねぇ…

このところアレコレ書いている、帰属とかアイデンティティとかの話。
下記の動画を見て、帰属とか自分探しとかって、最終的には【自己肯定感】をどう構築するか? という問題なのかなぁ、と思ったんですよ。

↓この動画、サムネがコワいけど(w)、内容はすごく深いです。

オウム真理教事件に深く関わってしまった上祐史浩さんが、「宗教犯罪が問題になっても新興宗教にすがる人が絶えないのは何故?」というテーマで語っているのですが、
コレって、【根本的な人間の弱さ】の問題なんだろうなぁ、と思ったんですよねぇ。


この動画に出て来る「洗脳されたい欲求」って、私自身は薄い方だと思うのですが、以前飲み仲間だった人の言動が、コレだったんだろうなぁ、と思い出したんですよ。

その人っていつも
「みんなズルばかりして、真面目な自分はいつも損している」
「正解を教えてくれないのはズルだ」
という意味のことで怒っていたんですよ。
その割に疑い深くて、人の話を素直に聴けない人でした。

上祐さんの語る「カルトに入ると神経症的苦悩から一時的に解放される」というのが、正に飲み仲間氏が望んでいたことなんだろうなぁ、と思ったんですよね。
イヤ、飲み仲間氏は「永遠に開放される」ことを望んでいたのか…。

神経症的苦悩って、要するに人生の苦悩なんだと思うのですが、ソレって言わば「正解の無い問い」なワケで、自分自身で模索していかなきゃ意味のないことなんですよね。
だけれど、その「模索」という行為が、やり方がわからないのか面倒くさいのかで、できない人が、手っ取り早く答えを教えてくれ! となるんだと思うんですよ…。

上記の飲み仲間氏は、自分にわかりやすい方法で教えてくれないヤツらが悪い、としきりに言っていたのですが、これって、学校教育や家庭で基本的な学習の仕方を身に付けられなかった、ということなのかもしれません。
もしかしたら彼自身に、何等かの問題があったのかも知れないです…。

イヤ、だけど、この「正解を教えてくれ」って、チートぢゃん。^ ^;
ズルしようとしてるのは、どっちだいw。

だけど、できればチートしたい、と思うのって、どの人にも有る「人間の性」なのかもしれないです…。


カルトにハマる人って、基本的に真面目で不器用なんだと思うんですよ。
大多数の人は、教わらなくても模索の方法を身に付けられるんだと思うのですが、ソレができない人が「誰かに教えてもらおう」になるんだと思うんですよ。
更に、そんなこと考えなくたってスムーズに生きられる器用な人には、最初から関係ない話でしょうし。
なのでこれ、境界知能や神経発達症、境界性パーソナリティなんかに関連する人も、ハマりやすい、ということなんだと思うんですよ。
だからカモられやすい人、というのが出てしまう。

人生の模索の仕方って、真面目に勉強しようとすると哲学、社会学、心理学、精神医学、等々々………「学術」になっちゃうから、深堀りしだすとかなり大変。
だから手っ取り早く教えてくれる「カルト」に行っちゃうんだろうねぇ…。
宗教でもマトモなところならば「手っ取り早い答え」なんて無いですよ、と答えるでしょうしねぇ。


宗教団体って、大体そこにいる人全員をほめるし、大仰に共感し合ったりするので、「受け入れてもらえた感」を感じられる集団なんだと思うんですよ。
更に新興宗教などで「会いに行ける教祖」から「あなたは修行をがんばりましたね。素晴らしい。」なんて言われれば、自尊感情爆上がりしますし、ねぇ。

でも、ここでの【自尊感情】って、基本的に「ここにいない他者」を見下すことで作られているんですよね。
「ここに来た・この集団に入ったあなたは選ばれた人です。来ない人は救われません。」
というのが基礎になりますからねぇ。
どこまでも相対的で作為的に作られちゃってるんですよね…。
自尊感情って、近視眼的な相対関係ではなくて、マクロな見方が出来ないといつまでも安定しないモノだと思うのですが、あえて不安定な相対関係に取り込んで、離れられなくするんでしょうねぇ…。

自己肯定感とか自尊感情って、傷つきやすい分、誰かから人質に取られやすい感情なんだろうなぁ…。
コワいですねぇ。


安倍晋三氏襲撃事件のあったころ、精神科医の斉藤環先生がXで、
「カルトにはまったひきこもりは見たことがない」
というようなつぶやきをしていて、思わず苦笑してしまったんですよね。

私、なにかとひきこもりたがる、ひきこもり気質です。
意識して外に出ないと、ホントに外出しなくなります。
生活や趣味で、どうしても外出しなければ! にならない限り、外出しなくなっちゃうんですよね。
なので、医療・福祉関係の人たちから「帰属先を見つけなさい」という圧力が結構来るんですよ。
人間って群れで生きる生き物ですから、孤立というのは「病的な状態」と言えますからねぇ…。
それに、極端に孤立した人って「無敵の人」になったりもしますし…。
だから帰属集団が必要だ、というの、すごく理解できるんですよ。

しかしですね、以前から言い続けていますが(w)、私、帰属集団というものに苦手意識があるからひきこもっているんですよね。
どう頑張っても浮いているし、なぜだか集団に合わせることができないんですよ。
そしてその自覚がある。
ひきこもりの人って、大体そうなんじゃないかと思います。

で、カルト的な集団って大概「100%の帰属」を要求してくるんですよねぇ。
(企業カルトっぽくなりやすい障害者枠での就労も、そうなんですよね。w)
これ、ひきこもり気質の人にはまず無理な要求なんですよ。
100%で周囲に合わせなければいけないなんて、ストレス過多で窒息死しちゃいますヨ。

だから、ひきこもりはカルトにはまらないのだろうし、
ひきこもりだからこそ、ゆるゆるの関係があちこちにある状態が理想、だと心底実感できるんですよねぇ。


人間は集団に帰属しないと生きていけない。
でも、最終的には分かり合えない個人同士で【帰属】し合うのは、やっぱり苦しさがある。
その苦しさは、それを抱えたまま個々人が模索して、納得していくしかないのだけれど、それは辛いし面倒くさい。
だから
「この修行さえやっていれば、あなたは選ばれた人になれるので、後の事は一切気にしなくていいですよ。」
と、割り切ったわかりやすさで洗脳してくれるカルトにはまっちゃうんだよねぇ…。

やっぱ、面倒くさくても、アンビバレンツを抱えたままヨロけないで歩いていく方法を、自分で模索して行くのが、一番安全な生き方なんだろうねぇ…。




いいなと思ったら応援しよう!