【第10章】 エイヤ! 〜前編〜
第1章『 夢現神社 〜前編〜 』
前話 『 怨念 〜後編〜 』
一年後──。
本社の企画戦略本部室に配属されてからの私はめまぐるしく働き、クタクタに疲れ果てて帰宅する毎日を送っている。
企画戦略本部室での仕事は、私の苦手な企画力や交渉力のような脳みそフル回転の事業が多いので、精神的にかなり負荷がかかって胃薬のお世話になっている。
それでも、自分が立ち上げた大好きなエディブルフラワー事業のプロジェクトに携われて、しかも責任者にもなっているので、仕事自体は充実していて張り合いがあった。
そして、ついに『(株)ナチュラルン』30店舗に及ぶ直営店でのエディブルフラワー販売の売上げが会社創立以来の伸びを記録し、社長賞をもらうほどの大成功を収めることができた。
正直なところ、エディブルフラワーの企画を立ち上げたのは私だけれど、この大成功の原動力は、優子だった。
実は、企画戦略本部室に配属されてすぐに、私はオールバックの室長へ、店長職だった優子をエディブルフラワー事業の統括マネージャーに昇格させて、一緒に仕事をさせて欲しいとお願いした。
けれども、優子には企画戦略本部室で働くだけの実績が無いことを理由に、室長は認めてくれなかった。それでも、エディブルフラワーフェアーの現場を臨機応変に仕切って成功させたことこそが実績だと何度も訴え、アドバイザーである平川さんの強い推薦も取り付けて、優子をエディブルフラワー事業の統括マネージャーとして企画戦略本部室へ異動させてもらった。
優子はずっと憧れだった企画戦略本部室に配属され、
「姉御のためなら、命、張ります!」
精力的にすべての直営店を駆けずりまわり、現場の細かい所までがっちりとオペレーションしてくれたおかげで、エディブルフラワー事業は大成功できたのだ。
そして今、私は大胆にも新たな事業を立ち上げようと考えていて、それは、エディブルフラワーも含め、アロマテラピーやハーブ、バッチフラワーといった『癒し』をテーマとしたジャンルの大事業。
私はこの『癒しビジネス』を、平川あざみさんと優子、そして強力な助っ人メンバー『X』こと、秋田真紀子の四人で立ち上げたいと考えていた。
プロジェクト実現のためには、ぜひとも秋田真紀子に加わってもらいたかった。
去年、私のエディブルフラワー企画を奪った一件で、真紀子は私と入れ替わるように物流倉庫へ異動させられていた。
私も含め社員の誰もが、プライドの高い真紀子ならすぐさまライバル会社へ転職すると思っていた。実際、真紀子へ好条件の転職話を持ちかけてきたライバル会社が数社あったらしい。
けれども、真紀子は退職も転職もせず、大量のホコリが舞う物流倉庫での厳しく辛い労働作業を一年間ずっと、黙々とやり続けていた。
実は一度だけ、物流倉庫で働いている真紀子の姿を見たことがあった。
それは、物流倉庫で働く人たちが使用している食堂の定食や飲み物にも、エディブルフラワーを無償でアレンジする企画を、鬼瓦センター長へ提案しに行った時のことだった。
物流倉庫で働いていた時から、ここで働く人たちの心を少しでもエディブルフラワーで安らげるものにできたらいいなあと考えていた企画で、センター長との打ち合わせが終わり、本社へ戻ろうとしていた矢先、
「何回言ったらわかるんだい! 手を抜くんじゃ無いよ!!」
倉庫の隅のほうで、誰かが怒られている声が聞こえた。
私も毎日、怒鳴られてたなあ……と懐かしく思いながら、倉庫の隅のほうへ視線を向けた瞬間、息を呑んだ。
パートのおばさんに激しく怒られていたのは、真紀子だった。
真紀子はひるむどころか、
「手なんか抜いてませんよ! こっちのやり方のほうが効率的なんです! センター長から許可もらってるんで邪魔しないでもらえますか!!」
強敵パートのおばさんに一歩も退かず、大声で言い返していた。
後日、真紀子と仲の良い同期から聞いた話だと、物流倉庫に革命を起こし、本社勤務へ返り咲くのを狙っているらしかった。
そして、去年まで『島流し』と言われていた物流倉庫は、私のエディブルフラワーによる癒し効果と、真紀子による仕分けや配送の合理化システムの相乗効果で、経済誌やテレビに取材されるほど注目を浴びる場所へと一変した。
そのこともあって、いつの間にか私の中では勝手に、物流倉庫を生まれ変わらせた同志という不思議な感情に変わっていた。
それで、『癒しビジネス』のビッグプロジェクトを成功させるには、真紀子のような多少強引でも企画をパワフルに具現化させる人材が必要だと感じていた。
そのことを優子に相談すると、顔を怒りで真っ赤にさせ大反対だった。けれども、最終的には「姉御がそこまで言うならしょうがないスけど、アイツがまたふざけた真似しやがったら、マジで殺っちゃいますからね!」ドスの効いた声でしぶしぶ承諾してくれた。
本当に可愛くて、先輩想いの後輩だ(笑)。
あとは、真紀子が私の申し出を受け入れてくれるかどうかなのだけれど……。
良いイメージを思い浮かべようと努力するも、どうしてもうまくいかず、いつもバーチャル真紀子に罵声を浴びせられ拒絶されるバッドイメージしか浮かばなかった。
真紀子を口説く自信が無かった私は、ここまで自分の夢が叶っていることの報告とお礼も兼ねて、神主さんからアドバイスをもらうため、一年ぶりに『夢現神社』へ向かった。
✻
『夢現神社』の朱色の鳥居をくぐり、境内へ足を踏み入れると、なんだか一年前とは少し雰囲気が違っているように感じた。
でも、あまり気にせず、社務所にいる神主さんを訪ねるため、拝殿の裏手にまわろうとしたその時──。
目を疑うような状況に立ちすくんだ。
神社拝殿の裏手は、社務所どころか、垂直に切り立った崖になっていた。
「ど……どういうことなの……」
本社勤務になってからは忙しくて一度も神社へ来れなかったけれど、最後に訪れた一年前にはちゃんと社務所がこの裏手に建っていた。
もしかして、大規模な地盤沈下が起こったとか……いやいや、そんな大ニュース聞いたことがない。
拝殿の前へ走って戻り、
「神主さ~ん! 神主さ~~ん!」
大声で何度も呼びかけた。
でも、境内はシーンと静まり返ったまま。
「もしかして……」
神主さんからもらった木札ちゃんもいなくなってるんじゃ……。
慌てて、カバンの中から、真っ黒に焼け焦げてボロボロになった木札ちゃんを取り出した。
「ねえ、木札ちゃん。神主さんはどこへ行っちゃったの?」
両手に載せた木札ちゃんへ尋ねるも、答えてくれない。
実は、木札ちゃんは私のノートパソコンを破壊した一年前のあの日から、いくら呼びかけてもまったく反応しなくなっていた。
なにも考えられず、崖の上から見えるきれいな夕焼けをぼうっと眺めていた私の手から木札ちゃんがすべり落ちた。
「ごめんごめん……」
土がついて汚れた部分を手でやさしく払いながら、
「土……」
境内に入った時の違和感が押し寄せてくる。
「まさか……」
慌てて、境内のほうへ振り返り、
「やっぱり……」
違和感が確信に変わった。
一年前に訪れた時、境内に敷き詰められていた白色の玉砂利がすべて無くなり、むき出しの土に変わっていた。
駆け出し、朱色の鳥居をくぐって道路に出ると、超ヘタクソな筆文字で『夢現神社』と書かれていたのぼりも無くなっていた。
「この一年間でなにがあったの……」
途方に暮れる私の耳に、
「アンタの言う通りに一年間やってきたのに、なんで本社に戻れないのよ! ていうか、なんで昨日からなんにも答えないのよ! 壊れたの? しっかりしなさいよ!!」
ヒステリックなとがった声が飛び込んできた。
「真紀子……!?」
「ゆかり……!?」
互いに目をまん丸くして、絶句する。
しかも、真紀子の手に握られていたのはスマホではなく、
「……それ、『恐』おみくじを引いた人だけがもらえる木札のお守りじゃ……」
真紀子がくるっと背を向け、逃げるように走り出す。