三日坊主にならない人の考え方を聞いた
知り合いで、
三日坊主にならない人がいる。
その人が言うには、
「私は三日坊主にはならないですねー。
三日坊主になる人は、
三日坊主になるであろうことを
やろうとするから
三日坊主になる。
なので最初から、
三日坊主にならないようなことを
選んだらいいんじゃないでしょうか」
…なるほど。
以前の私なら、
「それはその人がすごいからだよ!!」
「私も含めて、世の中には三日坊主、いや、それ以下の人はたくさんいるよ!」
と言って、人間的なスペックの違いに目を向けていたと思う。
そして、それに比べて自分はダメだなあ〜、を強化しまくっていた。
◆今ならわかる、その言葉の本質
でも、今ならそれが、どういうことかわかる。
自分の
・やれる範囲
・好きなこと
・日常のなかでのやれるタイミング
などををしっかり理解していれば、そもそも、はじめから無理な目標を立てることはないのだ。
そして、「やらなきゃ」って思うことではなく、
「よし、やろう」と思えることを選ぶ。
一日目のnoteでも書いたように、「やらなきゃ」という言葉には、「本当はやりたくない」が含まれている。
健康にいいから、
誰かにやれって言われたから、
このままじゃダメだから、
今の自分じゃ足りないから。
やる理由を探し出したら、
それはもう「やりたくない」なんです。
◆やることって、自分への投資みたいなもん
そして、三日坊主にならないことの目安は、
これをやったらどうなるかな、
続けた先の自分を本気で見てみたいな、と
思えているかどうか。
そして、現実的にできそうかどうか。
こんなこと言ってる私自身も、じつは、毎日やろうとは思っていないことのほうが多いです。
たとえば、今月から始めた7秒スクワットは、初めから「まぁ、毎日はやらないな」という確信があるので、週3やればOKにしています。
回数すらあえて決めず、一回でも、やった、とカウントします。
でも、トイレを一分間拭くとか、リビングの机にものを置かない、は毎日やるようになりました。
そして、いつの間にか『習慣』になりました。
◆まずは自分を知ることが、脱・三日坊主になる
ある一つのことを、
「やれそうか」「やらなさそうか」の判断は、
自分にしかできません。
そして、
『これやったらいいかも』の確信も、
自分の中にしかありません。
なので三日坊主をくり返して自信をなくすのは、私もきっと、もうないと思います。
明日も書くかなー。
お楽しみに。
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