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#156 アイスランドからやってきたピアノ!?

8月9日に投稿した記事『#150 触ったときに✨ときめきますか?』では、長年大切にしていた赤いデジタルピアノを処分したら、その「空いた場所」に新しい未来のキャリアという贈り物が入ってきた時のことを紹介しました。

今日はその続編です。先週末、ヘッダ写真の白いピアノが届きました!



赤いピアノから白いピアノへ

上掲の記事の最後に、このように書きました。

そして、この赤いピアノの話は、未来へと繋がって、次にどんな展開を見せるのでしょうか? みなさんにご報告できる日を楽しみにしています。

実は書いた時には「次の展開」は決まっていたのですが、やっと報告できる形になりました。この「赤いピアノ」は1993年〜2020年の間大切にしていましたが、実はその間に次の出会いの種が蒔かれていたのです。今日はそんな「赤いピアノから白いピアノへ」のバトンタッチの物語です。

「やりたいことは、全部やる」

もう一本、昔の記事を引用します。昨年の10月末に、『#79 やりたいことは、全部やる』という記事を書きました。いろいろ新しい挑戦をしてきた中で、唯一腰が引けていて、「生まれ変わったらやろう」と思っていたことがあった話でした。それは「ピアノを弾くこと」で、友人とのこんな会話を紹介しました。

 僕:生まれ変わったら、ピアノを習うよ。どうしても弾きたい曲がある。
友人:……今からやったら?生まれ変わる保証ないよ。

「生まれ変わる保証ないよ」というのは、とても力のある言葉ですね。この言葉が心に残っていて、今回改めてピアノを習おうと決心しました。どうにかこの記事を書いてから一年以内に決心することができました。

ことの起こりは、アイスランド🇮🇸

ここでいきなりですが、今部屋にある白いピアノがやってきたきっかけは、アイスランドが繋いでくれた縁です。

2010年春に、アイスランドの火山、エイヤフィヤトラヨークトルが噴火しました。火山灰は上空高くに達し、飛行中の航空機のエンジンが停止する事態を避けるために、当時ヨーロッパ約30カ国の空港が閉鎖となりました。航空業界への影響は、9.11アメリカ同時多発テロ事件を上回ったそうです。この噴火が起きたちょうどその時、当時勤めていたフルート製造メーカーに、オランダから技術研修生が来ていました。

その研修生はオランダ有数の楽器店の社長の娘として生まれ、将来的には店の経営を担う人でしたが、まずは技術者からスタートしたいということでした。記憶では、彼女は当時まだ19歳でした。慣れない日本での研修を終えていよいよ帰国、という時に火山が噴火して帰れなくなり、その後さらに数週間を日本で過ごすことになりました。上級の研修プログラムを組んだように記憶しています。
 言葉の問題もあったため、彼女の帰国まで、僕が身の回りの世話を担当しました。やっと飛行機が飛び始めた帰国の日、成田空港の出発ターミナルで、「長い間ありがとう」とほっぺたにキスしてくれたのを覚えています。

記憶では翌年、オランダ代理店と共に、彼女の一家が経営する楽器店の店舗を訪ねました。アムステルダム郊外にある大きな店舗にはピアノ、ギター、弦楽器、管楽器、打楽器、電子楽器がまるで博物館のように並び、さながら「楽器のワンダーランド」だったのを覚えています。
 現地で移動する時には、社長である彼女の父親が「あの時は娘をありがとう。君は僕の車に乗りなさい」といって助手席に乗せてくれ、当時彼女がどんな思いだったか、父親からも話を聞きました。帰国時にはプレゼントも頂き、オランダでのいい思い出になりました。

*     *     *

14年後の偶然

時は流れ、僕はそのフルートメーカーを退職し、その後もいくつか別の職場を経験した後、今年4月にオランダへ引っ越してきました。「やりたいことは、全部やる」でピアノを習おうと決めて、予算内でピアノを学ぶのに適した電子ピアノを選んで、一番安く買える店を探しました。すると、一番安かったのはなんと、14年前に訪問した彼女の店だったのです。WhatsApp 経由で問い合わせると、おそらく通信販売部の担当者が対応してくれました。せっかく彼女の店で買うので、本人にも、「久しぶり〜アイスランドの火山の時のトオルです。覚えてますか?」と別途メールしておきました。

翌日、WhatsApp を開くと、なんとこんなメッセージが。

トオル、私だよ〜久しぶり。 アイスランドの火山の時のこと、もちろん覚えてるよ!トオルのピアノ、私が担当するからね ^^

社長の娘である彼女が直々に、支払いから配達、組み立てサービスまですべて手早く手配してくれ、先週末に無事白いピアノがやってきました。このピアノとの縁ができたのは2010年なので、先代の赤いピアノとはちゃんと重なっていて、バトンタッチしたのだな、と思いました。

そして未来へ……

次の年末年始は、少し長めに日本へ一時帰国します。オランダへ戻ってくる時には、今は日本に置いてあるサックス2本とフルートを持ってくる予定です。そして、今回ピアノの世話をしてくれた彼女は、今ではフルートのみならず管楽器全般の技術者として活躍しています。管楽器は年に二、三度調整をする必要があるので、彼女はこう言ってくれました。

オランダにいるんだから、サックスとフルートの調整は、私にやらせてね。

年始に日本から帰国したら、14年ぶりに店に行くね〜と約束しました。今使っているアルトサックスは、20歳の時に買ったものなので、もう30年以上の相棒です。信頼できる技術者にしか触らせたくありません。彼女なら安心して任せられます。

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ピアノの先生大募集!

ということで、51歳で生まれて初めてピアノを習うことにしました。昔、エレクトーンは少しだけ習ったことがありますが、ピアノとは奏法が全く異なるので、ゼロからのスタートです。今週金曜日の記事で、「こんな風にピアノを習いたいです」をまとめて、オンラインで日本からピアノを教えてくださる先生を探したいと思っています。

ですが、どうしても「この曲だけは、年末に日本に帰国する前に弾けるようになりたい」と思う曲があるので、悪い癖がつかないよう気をつけながら、フライングして自分で練習を始めました。それは、先日 note の「創作大賞 2024」に投稿した小説『Flow into time 〜時の燈台へ〜』で、主人公探夏と七会の二人を描写する曲として登場した、国府弘子さん作曲の『Etude』です。
 頑張って、年末までに弾けるようになります(有言実行!)。「この曲を弾きたい!」という気持ちについて触れた小説の当該部分を引用して、今日の記事を終えたいと思います。

アキは翌日、29年前に七会が乗った時刻に近いと思われる新幹線「こだま」に乗り、米原を経て一乗谷へ入った。車中では、探夏が七会にCDを渡し、「永遠の五日間」をその楽曲構成に重ねて手書きの解釈を七会に残した曲、「Etude」を繰り返し聴いた。まだロンドンにいた頃に、マコトとセント・パンクラス駅に出かけていつものレストランでラザニアを食べ、レモネードを飲んで、駅のストリートピアノを弾いた日以来、ピアノは久しく弾いていない。

「この曲、弾きたいかも」

 アキがこんな風に感じるのは、久しぶりのことだった。『道の曲がり角』に没頭して、この夏は旅行にも出なかったおかげで、少し貯金も増えた。改めて自宅にデジタル・ピアノを買って弾いてみようか、と考える。

『Flow into time 〜時の燈台へ〜』第17話より(クリックで飛べます)

今日もお読みくださって、ありがとうございました🎹
(2024年8月26日)

サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️